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世界最終舞踏 RSSフィード

2009-09-01(Tue)舞踏会三十五日目

[][]残響必徹ノベラゴン九日目・最終日Vol.03 20:37

書けば書くほど分量が増えていくってどんな魔法なんでしょう。


夏の終わりの神隠し 中編その2(11.5KB)

 絶妙な角度で水に差し込まれたタモは、ぱしゃんと軽やかな水飛沫を上げて五匹めの金魚をボールに放り込んだ。

 モナカが破れる様子も、晃平が敗れる様子もまだない。

「晃平すごーい!まだいけるじゃん!」

一匹めを深追いし過ぎてあっという間にタモをだめにした結子がはしゃぐ。私も、白の体に赤と黒が斑になった二匹めをさっき取り逃がしたところだ。晃平は余裕の表情で答えてみせるが、眼は獲物を狙うライオンのように鋭い。再び上がる水飛沫。黒いリボンを折り畳んだような、ひらひらとした尾びれが見事な放物線を描いてボールにダイブした。いつの間にか集まっていたギャラリーがおおーと感嘆の声を上げる。満面の笑みとブイサインでそれに応え、晃平はタモを置いた。

「もういいの?」

 やや大きめのビニール袋に金魚が入れられていく。随分狭そうだ。

「これ以上捕ってもなー。ほら、待ってるのもいるし」

 晃平の技につられてか、屋台の前には行列ができていた。それぞれ袖をまくり上げて水面を睨んでいる。なんとなく金魚たちが怯えているように見えるのは気のせいだといい。

「じゃ、次行きますか」

 覗きこんだ袋の中から、黒い金魚がちらりと私を見た。

 食べて飲んではしゃいで、そろそろ疲れが見え始める頃に時計を見れば、花火までもう少しというところだった。休憩も兼ねた場所取りを提案すると、みんなはほっとしたように賛成してくれた。本殿のさらに奥、滅多に人の来ないところは地元でもあまり知られていない穴場だ。

「ねえ、こんなところ入って大丈夫?怒られないかな」

 心配そうな綾香に晃平がからからと笑ってみせる。

「だーいじょうぶだって!今日はお祭り、バレたって大目に見てもらえるっしょ!なあ一哉?」

 急に話を向けられた一哉は一瞬、晃平の声が聞こえていないようだった。はっと顔を上げ、笑顔を作ってみせる。

「ああ、そうだな」

「なんだよなんだよ、もう疲れたのかよー」

「そうじゃねーって。ほら、行くぞ」

 先を行く一哉と、じゃれつくようにそれに続く晃平。それを不安そうに見つめる結子。綾香がそっと歩み寄る。

「どうしたんだろうね、一哉君」

 うん、と小さく頷く結子。

「ちょっと疲れたのかもしれないな。大丈夫だよ、少し休めば」

 そう言ってぽんと肩を叩いたとき、ふっと結子が顔を上げた。その瞳の色に思わず手を退ける。

 不安と怒り、焦りと悲しみ、それが全部ない交ぜになって揺れている。触れれば破裂しそうな感情が透けて見えた。結子が今まで見せたことのない瞳だった。

 けど、何より驚いたのは。

「結子ちゃん、行こ?大丈夫だよ」

 綾香にそっと肩を抱かれ、ゆっくりと歩いていく。暗がりに蝶と花が消えていく。私は立ち尽くしていた。そこに張り付けられたみたいに。

 ごちゃ混ぜの感情は、全部私に向けられていた。

 一哉の隣に結子、隣に綾香が座り、そこに晃平と私が続く。砂利を敷き詰めた地面は乾いて、撫でるとひんやりとしている。ぽっかりと開けた空から星が見えた。みんなが楽しそうに話しているのをぼんやり聞きながら、さっきまでのことを思い返す。願いは叶わないと告げた声。凍る手。一哉の視線。結子の瞳。楽しみにしていた花火の日なのに、結子の大切な日なのに、どうしてこんなことばかり起きるんだろう。そんなに悪いことしたつもりなんか、ないのに。

「そろそろ始まるよ!」

 空を見上げて、悟られないように溜息をつく。まずは結子の告白が上手く行ってくれればいい。それで全部帳消しだ。花火が始まったらうまいタイミングで抜け出して、晃平は綾香に任せよう。誘われたら確実についていくはずだ。あとは適当なタイミングで戻ってくればいい。その頃には全てうまくいっているはずだ。

 体を貫くような轟音と共に、夜空に広がった最初の花火。せめてこの先は、明るくなりますように。

 空に吸い込まれる笛の音。燃えて光る色の連なり。消えながら落ちていく火の粉。ちょうど吹き始めた風が煙をさらう。鼻を掠める火薬の匂い。自分の憂鬱も一緒に空へ打ち上がって、弾けてしまえばいいのに。そうすれば晴れない胸の内だって明るく照らされるだろう。せっかくの綺麗な花火を、こんなに苦い思いをしながら見上げる必要もない。今夜叶う恋だって、なんのわだかまりもなく祝福できるはずだ。ときには二人を冷やかしながら、これからも五人で仲良く過ごしていける。

 もう一度、溜め息。さすがに考えすぎだ。みんなみんなうまくいくに決まっている。花火が狂いなく、狙ったとおりの空に打ち上がるように。心配しなくたって、そっと窺えば二人は幸せそうに寄り添っている。私がやるべきこと、できることはただ一つ。そろそろそっと、ここを立ち去ること。

 地面に直接座り込んでいたので腰が痛んだ。ゆっくり立ち上がると、草履がじゃらりと音を立てた。

「ごめん、なんかお腹痛いや」

「え、嘘?大丈夫?」

 花火から眼を離して心配そうにこちらを見上げるみんなの表情に、本当にお腹を壊しそうだった。いやいや、でも今ばかりは。

「やっぱ具合悪かったんじゃん。無理すんなよ」

 むすっとした顔で晃平が言って、よっこらせと立ち上がった。

「俺も行く」

 予想外の発言だった。心配だからとかなんとか色々呟いているけど、まさか晃平がそんなことを言うと思わなかった。

「しっつれーだなお前。俺が心配しちゃ悪いかよっ」

「いやあ、そうじゃないけどさ……」

「じゃあ、私も行く。晃平君も一緒に行こうよ。まだ見てないお店もあるかもしれないし」

 綾香がすかさずそう言う。ね?と念を押されれば素直に頷く。成り行きとは言え、これで三人一度に退場できることになった。結果オーライだ。ありがとう綾香。

「じゃあ、二人はここで待っててね」

 結子の眼をしっかりと見て言う。私に対して何を思っているかは良くわからないけど、少なくとも邪魔はしない。言葉はなしにそう告げたつもりだった。結子は眼を逸らさず、うんと頷き返してくれた。まだ不安そうな表情ではあったけど、しっかりとこっちを見てくれた。ほんの少しだけど、肩の荷が下りた気分だった。あとは二人を伴って、早々に出て行くだけ。大丈夫、大丈夫と言い聞かせながら。はやる気持ちに合わせて、慣れない草履の足許が滑らないようにゆっくりと。これで舞台は整った。本殿がすっかり見えなくなる頃、一際大きな溜め息が漏れた。

「あれなら大丈夫だな」

 晃平がにやっと笑って言う。あれ、こいつもしかして。

「知ってたの?」

 当然、と胸を張る晃平。なんと結子に直接聴かされていたらしいのだ。がっくりするとはまさにこのことだ。こう言っちゃなんだけど、そういうことに関しては鈍感すぎるほど鈍感な晃平をどうやってあそこから立ち去らせるかは私にとって一番の問題だったのだ。結局綾香に任せるというひどい方法しか思いつかなかった、とはさすがに口が裂けても言えないけど。

「知ってたなら言ってよね、全くもう……」

 ねえ?と綾香に眼を向ければ、ほんとだねとにっこり笑ってみせう。ただその顔が、なぜかほんの少し強張っているように見えた。心なしか顔も青褪めているようだ。

「綾香?どうしたの?」

「ううん……なんでもない」

 そのまま俯いてしまった横顔は、思いつめたような泣き出しそうな、とても危ういものだった。

 花火の音が、やけに遠く聴こえる。

 花火が始まっても、まだ屋台に群がる人たちは多かった。そこをすり抜けすり抜け、あてどもなく歩いていく。

「でもさあ、ここまでお膳立てしないと告白できないってのもどうよ?」

 心配していたことがあっさり片付いてしまって、気の抜けた私はやや荒っぽくそう言った。

「まあまあいいじゃんか。タイミングってやつだよ。こういうチャンスは大事にしないとさ」

 それを聴いた綾香が、ふっと顔を上げる。

「誰にでもそのチャンスがあるわけじゃないけどね」 

 いつもおっとりした口調の綾香に似つかわしくない、鋭くて冷たい言い方だった。そしてそれはあからさまに、晃平に向けられた言葉だった。

「それってどういうこと、綾香ちゃん?」

 問いかける晃平にも、普段のちゃらけた態度はない。軽く細めた眼が蛇のように綾香を捉えている。

 二人が何を言っているのか全くわからない。けれどはっきりしているのは、私の知らない何かを、二人が確かに知っていること。

「ねえ、ちょっとどういうことなの?」

 説明してよ。言いかけた言葉は、刺すような綾香の視線に遮られた。めったに怒らない人が怒るとものすごく怖いというけど、綾香の眼はまさしくそれだった。思わず背筋が寒くなる。

「泉水ちゃんも、責任がないとは言えないんだよ」

「…………え?」

 何を言ってるんだ、綾香は。私が何をしたって言うんだ?私だって綾香にも晃平にも色々迷惑かけてきたけど、こんなに怒らせるくらいのことをした覚えはない。

「気にするな、泉水。悪いのはお前じゃない」

 泉水?今、私を泉水と呼んだ?泉水「ちゃん」じゃなくて?今までそんなこと、あった?思い出せ。思い出せ。今までそんなことは――ない。ただの一度も、そんなことは、ない。

「じゃあ誰が悪いの?ねえ、晃平君。晃平君にとっては、誰が悪いの?」

 そこで言葉を切り、綾香は言った。

「自分と同じ泉水ちゃんを好きになった、一哉君が悪いの?」

 一瞬。お祭りの喧騒が、遠くなった。

 今、綾香は、なんて言った?

「あ、やか?それ、え?なに、それ……どういう、こと?」

 みんな勘だよ、と綾香はすげなく言う。それはつまり、当たりと言うことだ。いつだって、誰よりも冷静で、笑顔の奥におそろしいほどの観察力を秘めた彼女の勘が外れたことは、ただの一度だって、ない。

「持ちかけたのは、晃平君だね?」

 薄く笑いを浮かべたまま、晃平は答えない。それを肯定ととって、綾香は続ける。

「一哉君と一番仲の良い友達の晃平君に、結子ちゃんは一哉君のことを相談した。そこできっと、結子ちゃんは一番大きな心配事を話したんだと思う」

「『一哉が好きなのは、泉水かもしれない』」

 そう口にしたのは、晃平だった。おかしそうに、諦めたように、笑う。ひどく冷めた眼で。

「やっぱ、気づいたか。危ないかなっとは思ったんだけどさあ」 

 どうせ誘っても、綾香ちゃんは手ェ貸してくれなかっただろうけど。愚痴を吐くような口調。綾香は、じっとそれを見つめている。

「正直嬉しかったよ、それ聴いたときはさ。やっと俺にもチャンスきたなって」

 ――どうしよう。もしそうだったら、私……

 涙を浮かべ、必死に縋る結子の顔を思い浮かべたのか、晃平はまた笑う。冷たい、嘲りの笑い。

「俺が先か結子ちゃんが先か、今日になるまでわからなかったけどさ。どっちだっていいし、あいつらのことはどうだってよかった。泉水さえ、俺のものになればね」

 ――大丈夫だって。結子ちゃんが手伝ってくれればさ。

 欲しいものは二人とも違った。けどひとつだけ、目的は同じだった。一哉に、私を諦めさせること。

「しっかし、勘の良さは相変わらずだったね。どのへんでわかったの?」

 ひどく軽い、口調。綾香は静かに口を開く。

「泉水ちゃんがお腹痛いって言ったとき。普通だったら晃平君、自分も行くってすぐに言い出さないでしょ?」

 つまり、綾香は。晃平を止めるために、晃平と綾香の取り引きを、私の前で種明かしするために。そのために、私と一緒に来たのだ。

 きっとそれは、綾香なりの正義感だったんだろう。全員が揃った場でこの話をしなかったのは、取り引きを持ちかけた晃平を先に咎めるため。二人の許に戻れば、今度は結子を責めるだろう。一哉の眼の前で。私の眼の前で。

「それに、一哉君を見てたらわかったよ。ずーっと泉水ちゃんを、見てたから」

 綾香は、自分に酔っているんじゃない。そんなことは絶対にない。ただ、誰かの想いを利用し踏みにじるような行為を、誰の想いにも気づけなかった私を、許せないだけだ。そのまっすぐなところが、みんなは好きだった。そんんな綾香が、ずっと好きだった。

 だけど、今は。

 そのまっすぐさが、痛い。

 そのまっすぐさが、私たちの間に取り返しのつかない傷をつけていることが。

 どうしようもなく、痛かった。

 ふう、と晃平がつく溜め息。

「降参、降参。まったく、綾香ちゃんには敵わないね」

 おどけた言葉。いつもと同じ調子で。

「でもさあ、これだけ言わせてよ」

 晃平が、私に向き直る。そこにあるのは笑顔。いつもと同じ、やんちゃで無邪気な、私の知っている少年の顔。だけどそれは。

「泉水。お前は信じないかもしれないけどさ」

 だけど、それは。

「お前のためなら、今ここで綾香ちゃん、殺せるよ」

 もう、遅すぎた。

 誰かの笑い声が聞こえる。震えて乾いた、どうしようもない笑い声。それが自分の口から漏れているのだと気づくのには、時間がかかった。いつの間にか、私は笑っていた。ぼろぼろと涙をこぼしながら。

「なんで、言うかなあ……」

 疲れきった声を振り絞って。

「綾香も、晃平もさあ。なんで言うかな。言わなきゃよかったのに。言わなきゃ、ずっとこのまま、みんなで仲良くやってけたのにさあ。どうして、こういうことするんだよ」

 ぽん、と頭に手を乗せられる。くしゃくしゃと髪を撫でながら、晃平が苦笑いして私の顔を覗き込んでくる。

「お前には、わかんないだろうなあ。みんなで仲良くって、どんなに辛いのかってさ」

 突き放す言葉を、ただ優しい声で。

「お前が一哉と話してるとき、俺と結子ちゃんが、どんな気持ちだったかわかる?多分わかんないと思うよ。お前は、何も知らなかったんだから」

 手が離れていく。声は、今度は綾香に向けられた。

「綾香ちゃんもさ。わかってても言わないほうがいいことって、あるじゃん。黙って、それぞれくっつけばみんな平和に終わったんだよ?綾香ちゃんならわかると思ったんだけどなあ」

 あ、もしかして。楽しそうな、からかうような声で、晃平は続けた。

「もしかして綾香ちゃん、俺のこと好きだった?」

 なくした言葉の隙間を、喧騒と花火の轟音が埋める。溜め息のように漏れる笑い。もう全部、何もかも終わってしまったと、やっと気づいたような。綾香らしくない、諦めの笑い。

「そんなわけないでしょ、ばあか」

 その言葉を聴いた瞬間、私は石段を駆け上がっていた。

2009-08-30(Sun)舞踏会三十四日目

[][]残響必徹ノベラゴン八日目・最終日Vol.02 02:21

 延長戦が一回で終わるなんて、誰が決めたんです?


夏の終わりの神隠し 中編(7.28KB)

 鳥居から石段の手前まではしばらく開けた空間が続いていて、そこにもたくさんの屋台が軒を連ねている。

 細長い針が一度走れば、それにつられて真ん丸に焼けたたこ焼きが顔を出す。お好み焼きのソースの焦げる匂い、ずらりと並んだアニメキャラクターのお面。水色の水槽の中を優雅に金魚が泳いでいる。色鮮やかなチョコバナナが裸電球の下でつやつやと光る。くじ引き屋に群がる子どもたち。威勢のいい客寄せの声が響き渡る。頭にタオルを巻いたいなせなお兄さん、長い髪を後ろで縛り鮮やかにこてを捌くお姉さん。やっとその界隈を抜ける頃には、みんな手に手に美味しそうなものを抱えていた。結子はガラス細工みたいなりんご飴を少しずつ舐め、綾香はクリームたっぷりのクレープにかぶりついている。一哉は焼きそばを啜り、晃平はお好み焼きに焼き鳥にたこ焼きにアメリカンドッグ、おまけ鯛焼きとととても一人では食べきれないほど買ってきていた。

「今日は俺のおごりだ!みんなばんばん食え!」

 浴衣美人のオンパレードでどうしてそこまで機嫌が良くなれるのかわからないけど、御馳走してくれるのをわざわざ断ることもない。アメリカンドッグを一本もらって齧る。外はさくさく、中はふわふわの生地に包まれてあつあつのソーセージが顔を出す。暑さのせいか適度なしょっぱさが心地よい。

「泉水、それなに?」

 結子が私の買ったものを指して言う。りんごを齧る様がリスのようで可愛い。

「フライドパスタだってさ」

 なんのひねりもない名前の通りの料理だ。茹でていない生のスパゲッティを油で揚げて、塩で味付けしたもの。値段の割に量が多く、ぱきぱきとして美味しい。

「美味しそう!もらっていい?」

 オレンジと白のストライプの紙コップを差し出すと、するすると一本引き抜いていった。あれならポッキーゲームができるな、と妙なことを考えていたら綾香と眼が合って、にこっと笑われた。そんなに考えていることが顔に出るんだろうか、私。

「いいなー。俺もちょうだい」

 続いて一哉の手が伸び、クレープを食べ終えた綾香も楽しそうに齧った。

「泉水ちゃーん、俺も!」

 荷物が多すぎて両手のふさがった晃平が情けない声で訴える。仕方ないので二本まとめて口元へ差し出してやると、魚のようにぱくんと食いついてきた。

「美味いっ!泉水ちゃんの愛の味がする!」

 さすがに冗談が過ぎるので、一発殴っておいた。

 残りの食べ物をみんなで手分けして食べ終えると今度は飲み物が欲しくなった。一哉と晃平がまとめて買いに走る。良いチャンスだ。

「結子、ちょっと渡したいものがあるんだ」

「私に?なになに?」

 綾香が巾着の口を開け、先ほどのお守りを手渡す。封を開け中身を見た結子の顔がぱっと明るくなった。

「泉水ちゃんと一緒に選んだの。……今日、一哉君に言うんでしょう?」

「うん、そうだけど……あ。それでさっき、二人ともどこか行ってたんだね」

「絶対、うまくいくから。応援してるよ」

「結子ちゃんなら大丈夫だよ。自信持ってね」

 結子の瞳にみるみる涙が浮かんでくる。まだ泣くのは早いよ、と綾香が宥めると、うん、うん、と大きく頷いて満面の笑顔を見せてくれた。

「ありがとね、二人とも。ほんとにありがとう。私、頑張るからね」

 丁寧に結い上げた髪を崩さないよう、そうっと撫でてやりながら、私はお稲荷さんに祈った。

 今夜はどうか、この子の願いを叶えてあげてください。お願いします。

 どうにかこうにか石段を登り終え、本殿のある広場へ進むとここも人であふれ返っていた。神輿がもう外に出され、半纏姿のお兄さんがそれを取り囲んで打ち合わせをしている。屋台の数も下より増えて、焼き鳥屋から上がる煙がもうもうと夜空へ吸い込まれていく。本殿に参拝する人も多い。がらがらと鈴の鳴る音がしきりに聴こえる。

「お参りして行こうか」

 急にそう言い出した私に、綾香がすぐさま頷いて、結子は嬉しそうに笑って、男子二人はきょとんとしていた。やっぱりきちんとお賽銭を上げて、お願いしたほうがいいだろう。財布の中から探し出した一番綺麗な五円玉をぎゅっと握りしめる。ジンクスができるくらいご利益があるんなら、私の願いも叶えてもらえるはずだ。むしろ叶わなかったらこっちが呪いたいくらいだ。

 賽銭箱に五円玉を入れ、垂れ下がった縄を掴んで揺さぶる。ものすごい音がしたけど気にしない。おい聴けとばかりに鈴を鳴らし、柏手を打つ。なんでこんなに強気になっているのかわからないけど、いいんだ今日くらいは。しっかりと手を合わせ眼を閉じて、祈る。

 結子と一哉が、両想いになりますように。

 一心に祈る。ひたすらに祈る。周りの音が聴こえなくなるくらい、綾香が呼ぶ声も聴こえないくらい、必死に祈る。

 ――誰かの嗤う声。侮辱するような、冷たい嗤い。腹が立った。こっちは一生懸命祈っているのに、何がおかしいんだ。

 さっきからうるさいよ、お前。

  放っておいてよ。真面目にお願いしてるんだから。

 真面目にお願いねえ。はーあ、そうかいそうかい。

  当たり前でしょ。今日は絶対に叶えてもらうんだから。

 無理だ。

  無理?

 お前の願いは叶わない。どうやってもな。

  叶わない?なにそれ。どういうこと?

 さあな。とにかく、そこの小娘のことは諦めな。

  冗談じゃない、そんな話あるもんか!

 ない訳ないだろ。お前、俺が誰だかわかってるのか?

  誰?誰ってそりゃあ…………え?

 ――再び、嗤い声。

 また、あとでな。

 ――冷たい感触。冷えきった手で、頬をすうっとなでられるような。

 息が止まった。冷たい汗が背筋を流れる。誰?誰だ?あれは――誰?

「…………ん……ちゃん…………泉水ちゃん、泉水ちゃん!」

 弾かれるように顔を上げると、綾香が私の肩を揺さぶっていた。

「どうしたの泉水?顔真っ青だよ、ねえ大丈夫?」

 泣きそうな結子の顔。おろおろしている晃平。一哉がすっと手を伸ばして、額に手を当ててくれる。あたたかい、血の通った人の手だった。

「熱はないみたいだけど、とりあえずどこかで休もう。な?」

 参拝を待つ人の群れの中を、一哉に手を引かれて抜け出していく。大丈夫だよ自分で歩ける、本当はそう言いたかった。結子の顔をまっすぐ見られない。仕方ないと自分に言い聞かせながら、それでも悲しげに陰ってしまう瞳で結子は私を見つめていた。

 広場の隅に置かれたベンチに腰かける。額に浮いた汗を拭っていると、ぱたぱたと晃平がこちらへ走ってくるのが見えた。冷たいお茶のペットボトルを手渡してくれる。

「大丈夫か?」

 ありがとう、と答えた声が自分でも驚くほど弱々しかった。お茶をゆっくり飲む。だんだんと気分が落ち着いていくようだった。

「まだ暑いし、この人ごみだもんね。ちょっと疲れちゃったのかもね」

 他になんと言えばいいかわからず、黙って頷く。誰とも知れない相手に話しかけられたなんて信じてもらえないだろう。私だって信じられないし、信じたくない。

 けれど、あのとき確かに頬に触れたもの。まるで死人のような、凍るように冷たい手。お前の願いは叶えられないと、心底楽しそうに告げた低い声。そしてあの、無理矢理噛み殺したような嗤い声。何もかもを無駄だと嘲るような、何もかもが無駄だと知っているような、そんな嗤い。私の大嫌いな、嗤い。拳をぎりぎりと握る。恐怖と怒りが胸の中でごちゃ混ぜになって、爆発しそうに煮立つ。今すぐあの声の主を探し出して殴り倒したい気分だった。

「どうする?今日は、もう帰ろうか?」

 殊勝にも結子がそう言う。そんなわけにいかないよ。今日の主役はあんたなんだから。どうせここで私が帰ったら、心配で告白なんかできなくなっちゃうでしょ。せっかく最高のチャンスがめぐってきたんだから。

「大丈夫だよ。多分、ちょっとした暑気あたりだから。もう平気」

 軽く立ち上がり、下駄でジャンプまでしてみせる。本当はまだ少し、めまいがするけれど。

「ほんとに大丈夫?無理しちゃだめだよ?」

「だいじょーぶだいじょーぶ!もう、心配し過ぎなんだよ綾香はさあ!」

 けらけらと笑って見せれば、やっとみんなもほっとしたように表情を緩めた。そう、私たちにはこれが一番似合ってる。みんな一緒にいるから、大丈夫だ。

「おーっし!それじゃあ、見物の続きと行きますか!」

 威勢よく声を上げた晃平に、おーう!と腕を突き出して応える。右に結子、左に綾香を従えて、がっちりと肩を組む。結子がちょっと泉水重たいよーと抗議すれば、泉水最近太ったんじゃないのー?と綾香がちゃかす。

「失礼な!セクハラだぞ!女にセクハラしてどうするんだ!」

 きゃははは、と明るい笑い声があふれた。晃平の先導で、私たちはさらに祭りの中心へ進んでいく。

 ふと、視線を感じて振り返る。一哉がじっと、私を見つめていた。何か言いたそうな、思いつめたような眼で。痛いほどまっすぐな瞳で。

 苦しくなって外した視線を外す。一哉の薄い唇が、泉水、と小さく囁くのがほんの一瞬、見えた気がした。

2009-08-29(Sat)舞踏会三十三日目

[][]残響必徹ノベラゴン七日目・最終日Vol.01 17:34

お詫び

 えーと、今日の作品が今日中に終わりません。

 なので明日、勝手に延長戦を行いたいと思います。今日のところは前編のみお楽しみくださいああ石投げないで。


夏の終わりの神隠し 前編(6.57KB)

 最初に現れたのは狐面の男。最初に出会ったのは私。最後にいなくなったのは――

 街道はもう通行止めが始まっていた。パトカーが数台道をふさいで、人参のお化けみたいな誘導灯を持った警官が忙しく歩き回っている。今晩、お祭りが終わるまでこの道は歩行者天国だ。歩道に面した店はみんな軒に灯りをぶら下げて屋台を出し、神社へ向かう人々を呼び込んでいる。古着屋のお洒落な女の人がビールはいかがと声を張り上げ、乾物屋のおじさんが氷を削る。どこからか焼き鳥と、とうもろこしのいい匂い。

「泉水ー!こっちこっちー!」

 名前を呼ばれて振り返ると、綿飴を握りしめた浴衣姿の女の子がしきりに手を振っていた。すぐそばには二つの人影。もうみんな集まっていたようだ。

「ごめん、遅くなった」

「だいじょぶだいじょぶ、あと一人来てないからー」

 またか。あいつの遅刻癖はどうしたら治るんだか。

「今日は絶対遅れない!って言ってたのになあ」

「きっとすぐ来るよ。もう少し待ってよう」

 今日は街で一番大きな神社、お稲荷さんの夏祭りだ。神輿が出るし花火も上がる。私たちの学校も昨日から夏休みで、いつもつるんでいるメンバーで見物に出ようということになったのだ。

「二人とも、気合い入ってるねえ」

 結子は藍地に蝶が飛び交い、綾香は白地に淡い色の花が咲いている。良く笑う快活な結子と物静かで大人びた綾香の性格を表しているようだ。とてもよく似合っている。

「あったりまえでしょー。この夏一番の大勝負の日だよ?気合い入らないわけないじゃん!」

「大勝負って、何と戦うつもりなのよ……」

 やたら鼻息の荒い結子に綾香が苦笑する。この二人はいつもこんな感じだ。誰もが正反対の性格だと言うけど、だからこそ気が合うらしい。

「でも泉水だっていい感じじゃん、その浴衣」

「そうそう、なんだか泉水ちゃんらしいね」

 紺地に桜の浴衣を見ると、なぜかみんなそう言う。理由は上手く言えないけどもなんとなく私らしい、と。

「あーあ、一哉のやつ来なければいいのにな。そうすりゃ浴衣美人三人も引き連れて歩けるのになー」

「なぁに言ってんの、あんたなんかにはもったいないよ」

 あっさり結子に突っ込まれてがっくりうなだれる晃平は、Tシャツにハーフパンツとラフな格好だった。浴衣は自分が眺めるべきものだから着ないのだ、と訳のわからないことを言う。天然なのかキャラなのか、こいつはどうも女たらしの傾向がある。

「あんまり女の子追いかけ回さないでね。私たちも怒られちゃうから」

「まーかせなさい!我らが綾香っちを困らせるようなことはしませんよ」

 そう言いながら、そばを通りかかった女の子を眼で追っていたのは錯覚と思っていいんだろうか。

「あ、一哉だ!」

 最後の一人を目ざとく見つけた結子の声が、わずかに上ずった。この地域では、お祭りで告白すると恋が叶うというジンクスがそういう年頃の女の子の間でまことしやかに伝えられている。本当のところどうなのか、よく知らない。

「一哉君、また遅刻だねー」

「いやーこれでも急いだんだよー」

 あははと誤魔化すように笑う一哉は、意外にも浴衣を着てきた。クリーム色に近いくすんだ白の地に、流れるような藍の線が走っている。普段のすっとぼけた間抜けな様子からは想像できないくらい様になっている。

「おーおーおーなんだよ一哉カッコつけちゃってよー」

「お前こそ甚平くらい着てくればよかったのに」

「そーだ!甚平があったじゃねーか!」

 甚平でばっちり決めればかわいい女の子だってわんさかと、とぶつぶつ呟くところに、一応とどめを刺しておく。

「まずそのシタゴコロをなんとかしないとダメだね」

「あ、泉水ちゃん良いこと言うー」

 綾香のダメ押しで完全に沈んだ晃平を引きずり、私たちは祭りの喧騒へ分け入った。

 神社へ続く街道はぼんぼりが灯され、ゆらゆらといつもと違う雰囲気を醸し出す。人の群れはそれに誘われるように神社のほうへ歩いていく。浮き足立つような奇妙に陽気な空気のせいで、私たちはいつも以上に騒ぎ、笑い合った。からころと下駄を鳴らしながら進んでいく。

「もうすぐ神社だね」

「うわ、なにあの人。多すぎだろ」

「しばらく進めそうにないなあ」

「ま、いいじゃん。ゆっくり行きゃあさ」

 さっきから結子が黙りがちなのは、あまり気にしないほうがいいだろう。ちゃっかり一哉の隣をキープしているし。同じことを考えていたのか綾香が眼を合わせて、にっこりと意味深に笑いかけてきた。うまくいくといいね。

「なになになになに、綾香ちゃんも泉水ちゃんもさ。二人してにっこりしちゃってー」

 そして空気の読めないこの男。

「あんたにはわかんない話だよ」

 ねえ?と話を振ればまたしても綾香はにっこり笑う。

「そうだね、晃平君にはきっとわかんないね」

「ひどい!ひどいよ二人して!俺を仲間はずれにして!」

「鈍過ぎるあんたが悪いと思うな」

「わーん!助けてよー結子ちゃーん!」

 あははは、と曖昧な笑い。ちょっと、いやだいぶ引きつっている。そんなんじゃあ告白なんかできないぞ結子。一哉のほうだって気がないわけではないんだしさ。もっと自信持って……なんて、ここでは言えないけど。

 神社の大鳥居が見えてきた。そこから続く石段をぞろぞろと登っていく人人人の群れ。今年は天気もいいし涼しいし、相当な人出のようだ。遠くからかすかに祭囃子も聴こえてくる。いよいよお祭りらしくなってきた。

「泉水ちゃん」

 晃平が浴衣美女のフルコースに鼻の下を伸ばしているのを確かめて、綾香がそっと耳打ちした。鳥居の手前に出ているお守りの出店を見つけたらしい。裕子の為に恋愛成就のお守りを買おうと言う。わざわざ私を誘って一緒に渡そうとしてくれるところが綾香の優しさだ。

「結子、ちょっとここで待っててもらえる?すぐ戻るから」

「え?あ、うん」

「一哉君、結子ちゃんと晃平君、よろしくね」

 結子ちゃんと、の部分を強調して綾香は言う。私の手を引いてすいすいと人ごみを抜け、出店の前に辿りついた。

「いらっしゃいませー」

 優しそうな巫女さんが出迎えてくれた。お守りの入った箱がずらりと並んでいる。厄除け開運、家内安全、学業安産金運商売繁盛その他もろもろ。

「すいません、恋愛成就に一番効くお守りをください」

 なかなか無茶なお願いにも巫女さんはにっこりと答えて、薄い桃色のお守りを手に取った。淡い紫や紅色で花の模様が縫い取られ、「恋愛成就」の金の字が躍る。なんとなく、頼りがいのありそうなお守りだった。半額ずつ出して、袋に包んでもらう。苦しい時の神頼みというけど、こういうときこそ神様に力を借りるべきってものだ。

「これでばっちりでしょ」

「そうだねー」

 綾香はにこにこと嬉しそうだ。

「結子ちゃんて、昔から男の子みたいで恋愛なんて興味ないって子だったでしょう?」

「あー……そうだったねえ」

 おてんばで騒がしくて、こう言っては失礼だけど、あんまり女の子らしくない感じではあった。綾香なりにそれが心配だったんだろう。だけど最近、一哉を好きになってからは眼に見えて可愛らしくなってきていた。なんとなく言動も大人びたように見える。元気なのは相変わらずだけど。

 心配だったのは、急に可愛くなった結子に変な虫がつくことだ。祭りの花火、そこで満を持して告白するべく邁進してきた結子を横からかっさらう不届き者が現れる事態は充分予測できた。

「早く告白しないかなって思ってたんだよね」

「最近噂は聞いたよ。結子のこと好きなやつがいるって」

 しかしその心配も今日までだ。結子の猛プッシュに一哉の気持ちが動いたことは間違いない。今最高のシチュエーションで、めでたく二人は結ばれるわけだ。素晴らしいストーリーである。

「じゃあ、まずは早くこれを渡さないとね」

 私たちは小走りに三人の元へと戻った。さっきと同じく、結子が手を振って呼んでくれた。

「どこ行ってたの?」

「ん、ちょっとね」

 お祭りは、まだまだこれから。ぼんぼりのやわらかな灯りが、鳥居の先に続いている。

2009-08-28(Fri)舞踏会三十二日目

[][]今日は速いぞ!残響必徹ノベラゴン六日目 19:11

お題:「時計」(8.12KB)

 お気に入りのハットをかぶって、僕は今日も公園のベンチに腰掛ける。

 水曜日の街は緑色。けやき並木からこぼれる陽射しが優しく風に揺れる。車の河は規則正しい。クラクションで調子を取って、三色ランプの瞬きに合わせアスファルトを流れていく。歩道を行き交う人の群れ。スーツの上着を片手に汗を拭き吹き、どこかへ急ぐサラリーマン。颯爽と自転車を駆るお兄さん、イヤホンは危ないから外したほうがいいよ。大きなバッグを両手に提げてえっちらおっちら、おばさんが横断歩道を渡っていく。嬉しそうにはしゃぐ女の子は綺麗なピンクのワンピース。にっこり笑ったお母さんと手を繋いで、今日は一緒にお出かけ。快活に笑うお姉さんは二人連れ。涼しげなドリンクのカップ片手に、お洒落なヒールで闊歩していく。

 街は大好きだ。いろんなものが見える。それに、いろんな音が聴こえる。話し声に足音、自転車のベル、宣伝カーが流す騒がしい音楽、どこかを飛んでいるヘリコプターの音。CDショップから流れてくる流行りの歌。店の前でお客を呼ぶいらっしゃいませの連呼。夜中アーケードの端っこで誰かが弾いてるギター。そして、時計の針の音。

 昔から、というのはいわゆる、物心ついた頃からのことなのだけど、僕にはいつも時計の音が聴こえる。そこに時計がなくても、どんなに辺りが騒がしくても、必ず。幼かった僕は時計の音がするねえ、と周囲の人にしきりに話していた。最初はみんな悪ふざけ、小さい子供特有の言葉遊びみたいなものだと思ったそうだ。ちょっと厳しい人なんかは、人に構ってほしいあまりにそんなことを言うのだと考えて僕を叱ったりした。しかし僕にしてみれば、悪ふざけでもなんでもなく本当に時計の音が聴こえていることから言っただけのことだから、叱られる理由が全くわからなかった。おまけにそれが誰にでも聴こえていると思っていたから余計納得いかず、どうして信じてもらえないのかといつも拗ねていた。

 幼稚園や小学校に通い始めると、僕の耳はさらにたくさんの時計の音を聴き取るようになった。それは幸運にも、友達や自分に話しかけてくる声や、風の音や鳥の声、先生がお昼ご飯の前に必ず弾いてくれたピアノの音色を決して邪魔しなかった。当時の僕にはその理由がよくわからなくて、時計の音を聴いてはそばで流していたラジオに意識を向ける、という実験をひたすら繰り返していた。もっと自然な音でなければだめかもしれないと思って、親にせがんで(クラシックなんて全然わからないのに)コンサートに行ったこともある。結局知らない曲ばかりで退屈し、やたら重たい会場の雰囲気にも疲れて途中で眠ってしまった。僕と同じく大してクラシックに興味の無かった親は、それを見てお金の無駄遣いだとひどく怒ってそれ以来僕をコンサートに連れて行ってくれたことがない。

 そうしているうちに僕は、時計の音がどこから聴こえてくるのか気づいた。人はもちろん、犬も猫も公園の鳩も、道端の草の花も、生きているもの全てから、ちくたくと、こちこちと規則正しいリズムが響いているのだ。しかもみんなそれぞれリズムが違う。僕にとっては地球がひっくり返ったような発見だった。思わず叫びだしそうだったけど、なんとか我慢した。そこはバスの中だったからだ。隣には母親が厳しい顔で座っている。僕の視線に気づくと、きっと僕を睨んで前を向いてしまった。僕は黙って窓の外を見ていた。隣の車線を綺麗な青い車が走っている。ハンドルを握った黒いサングラスの男の人からは、スキップでもするように軽やかな音が聴こえる。あの人は自分で車を運転できるから、どこへでも好きなところへ行ける。いいなあ。僕は早く家に帰りたい。こんな狭いバスなんか飛び降りて、自分の部屋へ帰りたい。病院になんか、行きたくない。

 その頃の僕は既に友達がいなかった。不気味で気持ち悪い、頭がおかしいと言われ、毎朝学校に行くと必ず物がなくなっていた。机の落書きは何度も消した。油性ペンで書かれた死ねという文字はなかなか消えなかった。グループを作れと言われたとき、いつも最後に残るのは僕だった。切り裂かれた服も、中庭の池に沈められた上履きも買い換えた。怪我の手当ても上手くなった。いつも一人だったし、それが当たり前だった。どんなに迫害されても僕は何も思わなかった。殴られれば痛かったし、机に詰め込まれたごみを片付けるのは骨が折れたけど、そういうものなんだと僕は思っていた。

 僕は病院に連れて行かれるようになった。大きな大学病院だった。小児科、耳鼻科、脳神経外科なんてところにも行った。行くたびに違うお医者さんに会った。どこに行っても異常のない僕にみんな首を傾げ、異常はありませんと言う。そのお医者さん一人ひとりからも、違う時計の音がした。全く正常な、変わらないリズムだった。僕が最後に行き着いたのは、心療内科というところだった。僕が聴く時計の音は、最終的に幻聴であると思われたらしい。真っ白な病室で延々と変な質問をされるほうが、よっぽど心に悪いと僕は思った。いじめのことは言わなかった。それを言ったらこの先、僕はずっとこの病院に通い続けることになるから。僕はどこも悪くない。どこもおかしくない。時計の音は、本当に聴こえるんだ。

 病院に行った次の日、教室に入ると僕の席がなくなっていた。誰もがにやにやとした笑みを浮かべて僕を見ている。授業が始まる前に机を探しに行かなければいけなかった。僕は教室を出て、学校の中を歩き回った。誰も僕を気にしない。たまにひそひそと話す声がするくらいだ。三足目の真新しい上履きをぱたぱた鳴らして僕は歩いた。机と椅子は校庭の隅のごみ捨て場にあった。落書きでぐちゃぐちゃになっていた。辺りは陽が当たらず涼しい。誰かが捨てていったジュースの空き缶が転がっている。僕は持ってきたかばんを下ろし、そこに腰掛けて教科書を取り出した。一時間目は国語。四十一ページ。昔の誰かが書いた古めかしい文体の小説だった。遠くでチャイムの音がした。一人っきりの授業が始まった。時計の音は、聴こえなかった。

「お姉さん、何してるの?」

 はっと顔を上げると、小さな少年が僕を見つめていた。地元のサッカーチームのTシャツを着ている。くりんとした眼の活発そうな子だった。聴こえる音は、少し速い。

「色んなことをね、考えていたんだ」

 少年が首を傾げる。可愛らしい仕草だった。

「色んなことって?」

「たとえば、時計のこととか」

「時計?」

「そう、時計」

 少年の眼がぱっと輝く。面白そうと思ってくれたらしい。ベンチの隣にぴょんと腰掛け、先を促してくる。

「ねえ、時計って?どんな時計?」

「みんなは知らないんだけどね、そこに立ってるおじさんも、向こうを歩いてるお姉さんも、みんな一つずつ時計を持ってるんだよ」

「そんなの当たり前だよ。僕のおかあさんだって持ってるもん。いつもこっちの腕に着けてるよ」

 そう言って、左腕を突き出してみせる。なるほど、少年のお母さんは右利きか。

「ううん。そういう時計じゃなくてね、見えない時計なんだ。君は今どっちの手にも時計を着けていないけど、ほんとはちゃんと持ってるんだよ」

「ええ?ほんとに?どこにあるの?」

 困った質問だ、考えたこともなかった。だけど嘘を言うわけにいかない。

「それは、僕にもわからないんだよ。ただね、はっきり音がするんだ。わかるかい?時計の音」

「時計の音?ちくたく、ちくたくっていう音のこと?」

「そう。それでね、みんなそれぞれ音の速さが違うんだよ」

「どうして?」

「たとえばね、君の友達にせっかちな子はいないかな。早くしてっていつもいう子」

「うん、いるよ。ヨシオっていうんだけど、あいついつも早く早くって言うよ。なんでも待ってられないみたいなんだ」

「じゃあ、きっとヨシオくんの時計の音は速いんだろうね。逆に、いつものんびりしている子は、時計の音が遅い。わかるかな?」

 少年はしばらくうーんと唸り、曖昧な顔で頷いてくれた。

「そうだ、僕の時計の音は?速い?遅い?」

「ちょっと速いかもしれないね。今日は何か楽しみなことがあったんじゃないかい?たとえば、みんなで出かけるとか」

 あーっ、と少年が叫んだ。ほら、やっぱり。

「どうしよう、みんな先に行っちゃったかもしれない」

 さっきまでの元気な様子が嘘のように少年はうなだれる。久しぶりに家族でお出かけ、嬉しくてあちこち走り回っているうちにはぐれてしまったのだろう。辺りを見回しても両親らしき人影は見当たらない。さて、どうしたものか。

「困ったね。一緒に探してみようか」

 まだ遠くへは行っていないはずだ。明るく話しかけて頭を撫でると、泣き出したいのをぐっと堪えて少年は僕の差し出した手を取った。

 探し始めてすぐ、公園のそばで少年のお母さんを見つけた。先に見つけたのは少年だった。おかあさん、と叫んですぐさま駆け出していく。ぱっと振り向いた女性のこわばった表情が、氷を融かすように笑顔に変わる。駆け寄った少年をぎゅっと抱きしめて、何してたの心配したでしょう、と溜め息をつきながら言う。少年がちゃんとごめんなさいを言えたのが聴こえて、ほっとした。

 少年のお母さんは何度も僕に頭を下げてくれた。あんまり熱心にお礼を言うものだから照れくさい。でもまあなんにしろ、よかったよかった。

「お姉さん、ありがとう」

「気をつけてね。楽しんでおいで」

 ばいばいと手を振る少年と、もう一度お辞儀をする少年のお母さん。繋いだ手を揺らしながら歩いていく。もうすぐお昼だ。きっと、美味しいものを食べに行くんだろう。

 僕は再びベンチに腰掛けて、街を眺める。たくさんの時計の音。リズムの違う音。そして聴こえない、僕自身の時計の音。

 ――お姉さんの時計は、どんな音なの?

 少年の質問に、僕は答えられなかった。どんなに耳を澄ましても聴こえない僕の時計の音。この世界の誰にも聴こえない、届かない音。

 心地よく風が吹き抜ける木陰のベンチ。街の雑踏。青に変わる信号。

 僕の中のどこか、僕の知らないところで、声のない時計が今日も歌っている。




 今回はtwitter上で@vancatさんにお題をいただいて執筆しました。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

2009-08-27(Thu)舞踏会三十二日目

[][]本日も日付変更!残響必徹ノベラゴン五日目 00:04

*お知らせ

 「ゆらぎの神話」内で行われた記述ゲーム「パンゲオン・ライオット」及び投稿作品の「R.I.O.T.」をご存じない方は、まずこちらこちらをご覧ください。


黄昏ティーカップ / R.I.O.T.# (6.88KB)


 夕暮れの草原。遠くに連なる山々の、合間をすり抜けるように夕陽が沈んでいく。

 まばゆい光線に照らされる世界は燃えるように輝く。反対側の空は既に深い青に色を変え、一つ二つと星が姿を見せ始める。

どこまでも穏やかな、落陽の風景。

「ああああああもうどうしてこんなときに寝過ごすかなあ!」

美しい風景には無粋とも言える、苛立ちと焦りを隠そうともしない怒鳴り声が辺りにこだまする。声の主は揺れる草の波を泳ぐように駆け抜けていく。が、その速度が少々速い。正確に言えば、既に通常の生物が走る速度を超えている。草を薙ぎ倒さんばかりの勢いで何かが通り過ぎていく。そのあとにはわずかに、空色の光が残像に残った。

 風になびく長い耳。ふわふわと柔らかな毛が夕陽に照らされオレンジ色に染まる。しきりに瞬きをする赤い瞳。せわしなく地面を蹴る四本の脚。彼はロイ・ディリス。この世界に住む「兎」と呼ばれる動物だった。人語を解し人語を操る数少ない獣であるロイは、大急ぎである場所へ向かっている。脚に埋め込んだ概念系魔導言語の出力を微妙に絞り、自分が最も速く走れる状態を保持する。優秀な機能だが体力の消耗もひどいため、彼は滅多にこの「形態」を使わない。

にも関わらず、彼が全速力で駆けていくのには、理由があった。

 この日、ロイはある人物と会う約束をしていた。彼が好意を抱く人物だった。「会えるだけでどきどきするし、会えないときはなんかつまんない」と全く疑いようのない恋心だった。一緒にお茶を飲もうと決死の思いで誘ったのは彼からだった。相手は鬼気迫る表情のロイにやや眉をひそめたが、結局了承と答えた。それだけで彼は天にも昇る心地がした。嬉しさのあまり何度も渾身の蹴りで地面を割りかけ、即刻止められた。

お茶会の前日、ロイはなかなか寝付けなかった。会ったらどんなことを話そうか、何か気の聞いた冗談でも一つ覚えていこうかと寝床をごろごろと転がりまわるうち、夜が明けてしまった。彼は諦めて、約束の時間までそのまま起きていることに決めた。お茶を飲むのだからお茶菓子が必要だろうと思いつき、日が高くなった頃にどこかで調達しようと白々と明ける空を眺めながらロイは考えた。

 そして、気がつくと夕方だった。

「あああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああぁぁぁぁぁああああああ!?」

 当然のことだが、約束の時刻はもうとっくに過ぎている。自慢の赤い瞳さえ青褪めるような心地でロイは走り出した。息が切れるのも構わず約束の場所へ向かう。せっかくのチャンスだったのに、まさか自分でふいにしてしまうなんてバカにもほどがある。ずっとずっと好きだったのに、これでもう二度と自分の気持ちを伝えられることはないだろう。なにやってんの俺。ああ情けない。ごめんさよなら俺の初恋。

 悲しくて悔しくて情けなくて、こぼれ落ちる涙が宙に舞う。ぼろぼろ、ぼろぼろととめどなく、前が見えないほどに。

 結果、いろんな意味で前が見えていないロイは、トップスピードのまま突き出した岩につまづいたのだった。

「ほぉわああああああぁぁぁぁぁぁああああああ!!!」

 勢いがつきすぎたせいで、彼の体は地面に叩きつけられることなく空中に放り出される。ゆるやかな宙返り、夕空に描く完璧な放物線。ふたつの耳がはためき、四本の脚がばたつき、叫び声が茜雲に吸い込まれる。そのまま地面に叩きつけられる――

 ぽすん。

 ………………………………………………………………。

 ぽすん?

「…………うえ?」

「何やってんだお前は」

 適度なやわらかさとあたたかさ、ぺしんと頭をはたく感触も優しい。おそるおそる眼を開けると落ち行く陽の逆光線でシルエット。呆れたような低い声と風になびく髪。

「……えあ?」

「えあじゃない」

 しっかりしろ、と今度は頬をつねられた。痛い痛いと暴れるとすぐにやめる。あやすように軽くロイを揺さぶった。

「急ぐのはわかるが、空から落ちてくる必要はない」

「え、や、あの」

 もつれた舌でロイは叫ぶ。

「あ、アシェ!?」

 声が大きいと呟くとそのまま歩き出す。眩しそうに眼を細め、溜め息をついたその人こそ、ロイの想い人。かつ、天頂にあった太陽が沈む時分になるまでロイを待っていた、お茶会のもう一人の主役である。

 ヴァルキラル・アシェ。平行し重なり合う数多の世界を渡り歩き、かの《槍》を模した異世界の刃の持ち主。神すら殺すと伝えられる、特権階級の鬼神。しかし今は、その影をすっかり潜めている。男のような口調と無表情さは相変わらずだったが。

 そんな彼女がロイは好きだった。どこが好きなのか、彼は何度か考えたことがある。誰に対しても対等なところ、無愛想なふりをしているが本当はとても優しいところ、甘いものが大好きなところ、彼女の武器であるナギナタという長い剣を手に、遠くを眺めているところ。思いついたことは確かに全て当てはまるが、同時にロイはどれも違うと思った。どうしてかはわからない。ただ、言葉にした途端どれもが遠いものに感じたのだ。何かの拍子に見せる小さな笑顔も、時折浮かべる悲しそうな表情も、誰か知らない別の誰かのものに思えたのだった。

 アシェが足を止めた。草の上に敷いた布には、彼女が持参したお茶会の用意が広げられている。ぽってりとしたカップが二つ、かたわらに大きなポットがある。それからお菓子が数種類、皿に盛られている。いくつかつまんだ様子があった。ロイの耳が、しゅんとうなだれる。

「何か持ってこようと思ったんだけど……」

 アシェは気にするな、となんでもないように言って布の上に座り込む。空のカップにとぽとぽと紅茶が注がれ、芳しい匂いが湯気と共に広がった。

「ほら」

 あつあつのカップを慎重に受け取り、湯気を吹き飛ばして一口啜る。混じりけなしの葉の味。ちょうど今の空のような、琥珀色のじんわりとおおらかな味だった。

「おいしい」

 続いてクッキーの皿を差し出される。茶色と白の生地を使ったチェス盤に似たもの、ジャムがついたもの、砂糖をまぶしたもの、ナッツを乗せたもの。齧ればほろほろと崩れ、バターと卵の優しい味が広がる。ほんのりと甘く紅茶によく合う。しかし、アシェは納得いかない様子で食べかけのクッキーを睨んでいる。

「バターが足りない」

 ぼそりとそう言う。わざわざ今日のために作ってきたらしい。大好きな人の手作りクッキーと紅茶。もう幸せすぎて気を失いそうだったが、そんなことをしてはもったいないのでぶるぶると頭を振った。しっかりしろ、気を確かに。

「どうした?」

「なななんでもない」

 マーブル模様のカップケーキ、とろりとしたシュークリームに、しっとりと巻かれたロールケーキ、果物がどっさり乗ったさくさくのパイ。今日になってまだ何も食べていないロイは、貪るようにして次々とそれらを平らげた。どれも甘すぎず、優しい口当たりで、どんなに食べても飽きない。なんでもできるイメージはあったが、お菓子作りがこんなに上手だとは思っていなかった。

「これくらいは、誰でもできる」

 空になったカップに紅茶を注ぎながらアシェは言う。それでも、口の端にクリームを付けておいしいおいしいと連呼するロイに上機嫌なようだった。

「はふー食べたー」

 膨らんだ腹を撫でて横になる。しかし隣にアシェがいることを思い出し、慌てて座りなおした。

「いいよ」

 寝ていろ、ということらしい。少し迷ったが、結局ごろりと寝そべった。生成りの布が頬に触れて心地よい。

「それで」

 足を投げ出して座り、空を見上げアシェは言う。

「言うことがあるんだろ?」

 半分閉じかけていた眼がぱちっと開く。心なしか耳も震えたようだった。そりゃあそうだよな、お見通しのはずだ。

「……あのさあ」

 ごくん、と生唾を飲む。あれだけ紅茶を飲んだのに、もう喉がからからだ。アシェは黙ってこちらの言うことを聴いている。

「ええと」

 たった一言、好きだと伝えるために、勇気を出して誘い出した。まさか、いいよと言ってくれると思わなかった。今日だって、日が暮れるまで待っていてくれると思わなかった。とても嬉しかった。彼女を好きになった良かったと、心から思った。

「俺さ、その」

 いつでも一緒にいなくたっていい。辛くて悲しくて一人でいられないとき、自分がそっとそばにいたい。

 けど。

 君は、それを望むだろうか。

 それを訊くのが、怖いから。

「……いや、なんでもない」

 今はただ、こうしていたい。

「そうか」

 風が涼しい。

 夜が、静かに降りてくる。