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世界最終舞踏 RSSフィード

2009-08-26(Wed)舞踏会三十一日目

[][]修行が足りん!残響必徹ノベラゴン四日目 23:54

これは庭園の鍵(6.49KB)

「どうしてこう、人は世界を閉じたがるんでしょうねえ」

「…………さあ」

 見れば見るほどそれは異様だった。金物であることは間違いない。一般人が持つものではないことも間違いない。正々堂々真正面から銃刀法に違反していることも、多分いや絶対、間違いない。

「特にその傾向が顕著なのは恋人ってやつですね。相手がいればもう何もいらないとか、ほんとよく言うよって感じですよ。どれだけそれが不安定なのか全然わかってないんですから」

 話の内容は五ミリメートルほど浮世離れしているがそれはともかく、見た目は可愛らしい声で不平不満を並べ立てているに過ぎない。けど、この女性がただの《可愛らしい存在》であるはずは、どう考えたってなかった。すらりと背が高く、さらりと髪は短く、細い体と長い手足に隙なくブラックのスーツをまとう。ただし、これは正真正銘の男物。真鍮色のボタンが鈍く光る。シャツは糊が利いて皺一つなく、なめらかな生地のネクタイもきっちり締めている。蹴られたら痛そうな厚底の靴、ご丁寧に白い手袋まではめている。アクセサリーの類は一切なし。完全に男装だ。失礼を承知で言うと、いわゆる凹凸の少ない体型なので余計男に見える。

「なにかセクハラまがいのことを考えてますね?」

 性格はいたって温和。おっとりしていて微妙にドジっ子。おまけに、やたらと勘がいい。

「気のせいだ、うん」

 顔は可愛いというか童顔なので、今の格好はなかなかアンバランスだ。面白いくらい年齢不詳である。撫で肩に立てかけた得物がその奇妙さを余計にあおる。

傾いてきた午後の陽射しを鈍く跳ね返す、巨大な鋏。刃渡りは多分一メートルくらい。既に文房具じゃなくて凶器だ。紙を切るつもりが勢い余って首を切り落としそうな禍々しさがある。ただ違うのは、通常の鋏には存在しない別のパーツが取り付けられていること。それはちょうど鍵に似ている。錠前に差し込み、中の機構を引っかけて施錠解錠するでこぼことした部分だ。それが「鋏」の刃の片方に溶接されている。ヴァチカン市国の国旗に描かれた鍵に、鋏特有のハンドルがついていると言えば想像しやすいかもしれない。開けば鋏、閉じれば鍵、振るう姿は――

「殺人鬼?」

「やめてください」

 冗談のつもりだったがやや向きになって彼女は抗議した。しゃき、と刃の開く音がしたので素直に撤回する。不機嫌そうに頬を膨らました、鍵師にして庭師、矮小に閉じた世界をこじ開け切り開く職人たる彼女の仕事に、殺人は含まれない。

「縁起でもないこと言わないでください」

「悪い悪い。で、次の仕事は?」

しばらく恨みがましい眼で睨まれたが、黙っていると渋々といった様子で答えてくれた。

「……正式には決まっていませんけど」

「恋人?」

「恋人です」

 溜め息混じりの返答がもううんざりだと言下に嘆いていた。兎角恋人たちは二人だけで世界を築こうとする。当然二変数だけで成り立つ世界など机上の空論砂上の楼閣絵に描いた残像、要するに夢幻の類で、実際は「閉じきれない」ことのほうが多い。しかし、時々現れたりするのだ。恋人に限らず家族友人主従などなどエトセトラ、本当に「二人だけで」「閉じきって」しまう人間が。他のあらゆる要素を排除したある意味完全な「世界」は周囲を徹底的に歪ませ、強引に無理矢理に不条理に構築される。その反動が余所に出ないうちに、「世界」を潰す。そんな仕事を彼女は請け負っている。

「一番面倒なパターンだな」

「おまけに一番多いパターンですね」

 正直、彼女は仕事をする者としてはレベルが低いと思う。千人を救うために一人を犠牲にしなければならないことなんていくらだってあるはずだろうし、仕事に私情を挟むことは判断を鈍らせ行動を遅らせて、望んだ結果が得られないことに繋がるからだ。仕事は仕事、割り切って取り組むべきだ。たとえ死人が出ることになっても。

「冷たいですね」

「常識だろこれくらい」

 閉じた世界というのは、その中にいる人間にとっては最高に心地いい場所らしい。当然と言えばまあ当然。けれど一度隔てる壁にひびが入れば、そこから現実は容赦なく染み込んでくる。無慈悲な水滴はいずれ世界を浸食し夢はまさに泡沫となって消える。居場所を失くした人間はずぶ濡れのまま、ときに自ら死を選ぶらしい。馬鹿だ。どうしようもない馬鹿だ。おそろしく無駄で無意味だ。そんなのは、低俗な人間のやることだ。

「あなたには、わからないんですね」

 ぞっとするほど冷えた声が頭を突き刺した。振り返ると、怒っているような悲しんでいるような、憐れんでいるような眼の彼女が自分を見つめていた。暗く影の差した瞳に射すくめられて心臓が掴まれるような感覚を覚えた。

「誰にも邪魔されず、ずっと二人でいたいって気持ちは、あなたにはわからないんですね」

 最後はほとんど独り言のような口調だった。膝を抱いて俯いて、何か思い出している表情を浮かべる。昔の「標的」のことだろうか。彼女を見たとき、彼らは何を思ったのだろう。泣いたか叫んだか罵ったか。逃げ出す彼らを彼女は追う。ほとほと面倒くさそうに、心底苛立たしげに、とても悲しそうに。

「二人で手を繋いで、どこまでも逃げていくんです。逃げ場なんてもうないのに」

 追い詰められた二人を前に彼女は鋏を取る。絶望に満ちた悲鳴に重ねて、世界の軋む音が響く。抉じ開けられ切り開かれ、現実が荒波になって押し寄せる。割れていく空。砕けていく地面。崩れていく風景。捻じ曲げられたものが還元する。二人を繋ぐ鎖は錆び付き、世界の破片へ少しずつ風化していく。既に声はなく、見開かれた四つの眼がぼんやりと遠くを見つめているだけだった。彼女はじっと立っている。見慣れた光景だった。青みがかった瞳をそっと細める。何度見ても、哀しい光景だった。

「全部壊れてしまって、そのあと二人はどうしたと思いますか?」

 諦めたように、ふわりと笑う。

「死んだんです。私の眼の前で」

 その二人も恋人同士だった。偶然にも世界を閉じることに成功した、皮肉な幸福を享受した二人。涙が枯れても互いの手を離さず、真っ赤な眼を見開いて彼女を見つめていた。

 ――この、悪魔……!

 ひどく掠れて揺れる声で、女性が叫ぶ。既に収めた鋏を握り、彼女は黙っている。聞き慣れた言葉だった。白い顔を静かに伏せる。何度聞いても、哀しい言葉だった。

 ――お前なんかに、彼女は渡さない

 ぶるぶると震える男性の手が、ナイフを掴み出した。彼女が駆け出すのを待たず、それは深々と女性の胸に突き立てられる。濁った呻き声。こぼれ出す血。引き抜かれるナイフはそして、男性の胸に。

 そして、彼女は立ち尽くす。

 横たわる二つの亡骸。広がっていく血溜まり。辺りは次第に光を失っていく。絶えず打ち寄せる現実の波が、何もかもを洗い流していく。なかった事になっていく。もう全てを知っているのは、彼女だけ。だけど、もうできることは何もない。

 すうと冷たい風が吹き抜ける。夕暮れが近い。土手で遊んでいた子供たちが、はしゃぎながら帰っていく。高く空を飛ぶ烏の声。

「……嫌な仕事だな」

 出てきたのは、そんな言葉だった。

「まあ、仕事ですから」

 返ってきたのは、そんな科白だった。

「ねえ」

「ん?」

「あなたも、誰かを好きになってください」

 穏やかな、それでいて強い口調。

「確かに彼らはしてはいけないことをしました。けど、それは本当にお互いが好きだったからです。誰かを好きになっちゃいけないなんてことは、ないでしょう?」

 にっこりと、笑う。

「誰かを好きに、か」

 じゃあ、この際言ってもいいのかね。

「それ、お前でもいい?」

 彼女は一瞬固まって、二瞬目で顔が真っ赤になって、最後にぼんと湯気を上げた。

「あああああああの、えーとえーとえーと、あの、ふ、ふつつつつつつっ!」

 ぶち、と鈍い音が聞こえた。ああ、噛んだか、舌。

「何やってんの」

「いはいれふう……」

 痛いですう。タイミングを見事に間違えたらしい。謝罪の意味を込めて、とりあえずポケットティッシュを差し出した。