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幸せな一日

幸せな一日

 ゲヘナに流布している物語群を分析したクロフェは、そこから抽出された神話構造を「幸せな一日」と名付けた。

 クロフェによれば、裏切りと暴力に包まれた苦痛と憎悪の日々を送るゲヘナの民に生を維持させているのは、心から満たされ、欠けるところなく幸せだと感じられる日が一生に一日だけ存在するという根本思想である。ゲヘナの民にとってそれは生の意味そのものであると同時に、生の終着点でもある。幸せな一日は一度きりであり、一日が過ぎてしまえば残されているのは無限の苦悩と、二度とやってこない一日という絶望である。

 そのため、幸せな一日を見付けた多くの者は自ら命を絶つ。自分に幸せな一日を与えてくれた者の前での自殺は、ゲヘナの者にとっては最大限の感謝と喜びの表現である。

 クロフェの研究により、救いのない狂った物語と見倣されてきたゲヘナの物語の多くが新たな解釈を加えられることとなった。心中や後追い自殺はゲヘナの世界観ではハッピーエンドなのである。それはゲヘナではあまりに自明であるがために、物語の内部で説明がなされることはない。われわれの物語で、「王子様とお姫様は結婚しました」が幸福な結末を意味するのと同様である。

 幸せな一日は今日のゲヘナ研究に大きな進展をもたらした。ゲヘナの鎮圧に物語群の調律が注目されたのはクロフェの功績による。ゲヘナの狂暴性の原因は、死を強要することで代償行為的に幸せな一日を与えた満足を得ようとしているためと考えられたからである。