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2008-09-22【ゆらぎ】そろそろネタを…… このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

最近ゆらぎネタを書いてません。

いや、アイディアはあるのですが形に出来ません。

案としては

・リクシャマー帝国滅亡への過程……西方諸国最大のこの国家の滅亡によってドラクエ社会、つまり絶対王権による階級制中央集権国家が各国で完成するわけで、ある意味今まで記述してきたどの内容よりもスペクタルな話になるはずなのですが、なかなか形に出来ません。

・ムランカの最期……妖艶かつ奔放、悪辣にして淫乱、そして誰よりも女として悲しい生き方をしてきた彼女にも最期の時が訪れようとしていた、という話を書こうとしていますが彼女にはどんな最期が相応しいんでしょうね?そこさえ決まれば、かなりすんなりと話が書ける気がするのですが、やはりそれなりに思い入れのあるキャラなのであっけない死に方は嫌だなぁ、とついつい欲が出てしまいなかなか形に出来ません。

それはさておき、小説、前回の続きです。


3.行動原理/Ⅰ

 「やぁ、百合池さん、お久しぶり……というのも表現が変かな?」

 高級マンションの薄暗い一室、私は高級そうなシーツが敷かれたベットに、ポケットに両手を突っ込んだまま腰掛けながら、室内に入ってきた目の前の男、百合池に言った。

「あ、あなたは……」

 彼は、私の姿を見て、驚きに眼を見開きながら一歩後ずさった。無理も無い、生きているはずのない人間が生きていたのだから。

「馬鹿な、あなたは死んだはずだ!」

「簡単なことだ。蘇った……ただ、それだけのことだ」

 わざと、何でもないことのように私は言った。

「よ、蘇った?。馬鹿な、銃弾で頭を打ち抜いたんですよ。それから何度も……」

「どうやら私の身体に随分なことをしてくれたらしいな。だが、まぁ、世の中には稀にこういうこともあるということだ」

 私は、もう一度、何でもないようなことであるかのような口調でそう言い、ベットから立ち上がった。

 彼はもう一度後ずさったが、その拍子に後ろに倒れて尻餅をついた。

「だ、誰か…」

「人は呼ばない方が良い」

 私はそう言って、部屋の照明のリモコンのスイッチを押した。私の足元には、両手を後ろで縛られて猿轡をされた女が転がっていた。私が女を足で軽く蹴ると、女は悲鳴をあげようにも声を出せないので、身体を激しくよじった。

「私の腕は知ってるな?。あんたが人を呼ぶのと、大事な愛人が私があんたにされたようになるのと、どちらが早いと思う?」

 私は、上着の下のホルスターから銃を取り出し、安全装置を外して見せながら言った。

「わ、分かりました、人は呼びません」

 真っ青な顔をして、彼は答えた。実の家族よりこの愛人の方を大事にしている、という『情報屋』の言葉は本当だったらしい。とりあえず、交渉の主導権は握れたようだ。

「賢明な判断だ」私は、女に銃口を向けたまま言った。「懸命なついでに、そこのテーブルに持っている武器を全部置いてもらおう」

 私はそう言って、顎をテーブルの方にしゃくった。

 彼は上着のポケットから銃を取り出してテーブルの上に置いた。

「まず、最初に安心させてやろう。私は別に復讐に来たわけじゃない。交渉に来たんだ」

「こ、交渉ですか?」

「そうだ交渉だ。幾つか知りたいことがあってな」私はそう言って彼を椅子に腰掛けさせた。「最初の質問だ、今回の件、あんたどこまで絵を書いた?」

「と…いいますと?」

「『御曹司』の暗殺、『御曹司』派の残党処分、『御曹司』の娘の殺害……どこまであんたが計画したかを聞いているんだ」

「何のことですか?」

 私は躊躇うことなく銃の引き金を引いた。

 響く銃声……銃弾は、女の後頭部のすぐ傍の床にめり込んでいた。

「今のは警告だ。今度とぼけた回答をしたら、迷わず女の頭に撃ち込む」

「し、しかし、今ので外の私の部下が異常に気付いたかもしれませんよ」

 ふん、と私は彼の言葉を鼻で嗤った。

 このマンションが防音完備なことは既に『情報屋』からの情報で知っている。多分、外で待機している彼の部下はおろか、隣の住人ですら今の銃声には気付いていないだろう。

「もう一度聞く。あんたはどこまで計画したんだ?」

「……『御曹司』派の残党処分だけですよ。私だって系列の組を持っているとはいえ、鉄砲玉や殺人者に裂く程の人員は居ないのが実情なんです」

 俯いたまま、彼は重々しい口調で答えた。

「殺人者にする組員はいなくても、殺人現場に立ち会う余裕はあるということか?」

 私が皮肉混じりに言うと、「……貴方だけは、死亡をこの目で確認しておきたかったんですよ」と肩を震わせながら言った。

「貴方が、『御曹司』の仇討ちに参加するなんて予想外だった。目を怪我して引退したとはいえ、『始末者』の中でも一度も仕事を失敗したことが無い貴方が……組の中で誰もが恐れた貴方がもし生き残っていたら確実に復讐に来る……私はそれを恐れたんです」

 随分と高く買われたものだ、と私は口元を歪めた。だが、事実として彼の恐れたとおり、蘇った私は再び彼の目の前に姿を現しているのだから彼の評価も案外間違いではないのかもしれない。

「それで、『御曹司』派の残党処分はあんたの独断行動か?、それとも組長から命令されてのことか?」

 私は感情の篭らない目で彼を見ながら言った。

「両方、というのが正しいんでしょうね。組長は、『御曹司』暗殺後、彼を支持する残党が何かをしでかすことを恐れていた。あの人は臆病なんですよ。だから、私に『御曹司』の暗殺を相談された時、残党処分のプランを私が出した……それが真実です」

 私は、ポケットから煙草の箱を取り出し、一本だけ抜き取ってマッチで火を付け、残りを彼に放った。彼は震える手で煙草の箱から煙草を一本抜き出し、高価そうなライターで火をつけて咥える。

 空調を切った部屋の中に二人分の煙草の紫煙が立ち込めた。

「仕方なかったんです。私だって、部下を抱えた組織のトップなんですよ。『御曹司』という神輿が無くなった今、組長に逆らって彼らを路頭に迷わすか、あるいはもっと酷い目に遭わせることなんて出来なかった」

「それで、進んでかつての同志を売ったというわけか……涙の出てくる人情話だな」

 私は皮肉を露にした口調で言ったが、彼の立場も少しは分からなくも無かった。もし、私が『始末者』という裏稼業ではなく彼と同じ道を進んでいて、同じ立場に立たされたならばきっと同じ事をしただろう。

「それで、他にはあんた、何を知っている?」

「……貴方が知っていることと大差は無いと思いますよ。『御曹司』と御息女を殺害したのも組の息がかかった人間でしょうね。最近組は闇金を資金源にしているようですから、その中で首が回らなくなった人間に借金の棒引きをチラつかせてそうさせた、というところでしょう。あとはその実行犯の口を封じれば、警察の捜査で組に嫌疑がかかることはないし組員を鉄砲玉に使うこともなくて済む。そういうことです」

 それは大体予想していた通りの回答だった。

「『御曹司』はともかく、どうして娘まで殺す必要があった?」

 私は、死んだ少女の顔を思い出しながら聞いた。

「言ったでしょう。あの人は臆病なんです。彼女達が成人して復讐に来るか、『御曹司』派の誰かに利用されることを恐れたんです。だから、二人とも強盗殺人事件に見せかけて殺そうと考えたんでしょうね」

 ……反吐が出そうだ

 私は思ったが、鑑みてみれば私だって同じ穴の狢だった。暴力で飯を食い、上からの命令だったら誰だって傷つけ、時には殺した。違うのは命令したか、実行したかということだけだ。なのに、組長のやったことや、目の前の男がそれを看過したということに無性に腹がたった。それは私自身も自分勝手な正義を振りかざしているだけだということにしか過ぎないのかもしれなかった。

「それで、死体が見つかったのは姉の方だけだったようだが、妹の方はどうした?」

「分かりません。しかし妹の死体が発見されていないことから考えて、まだ何処かで生きていると考えるべきでしょうね。担ぐ神輿はもう無い、ということを潜在的な組長の反対派に知らしめるために、殺害後に死体は発見されやすい場所に曝すように命令が出ているはずです」

 ……本当に反吐がでそうだ。

 改めて私は思った。それは、保身のために手段を選ばない組長の考え方もそうだったが、自分が何も考えずにやってきた『仕事』の行動原理を観てしまった気がしたからでもあった。

「それで、あなたはあとは何を知りたいんです?」

「そうそう、その件だがな」私は、そう言って彼の背後に立ち、その両肩を掴んだ。「あんたの死に様を知りたいと思ってな」

 その言葉を聞いて彼は慌てて席から立ち上がろうとしたが、既に手遅れだった。もう普通の人間ではない私に、彼程度の人間が暴れたところで私から逃げられるはずも無いのだ。

 私は例の薬を彼の口の中へ無理矢理ねじ込んだ後で、乱暴な手付きで彼のネクタイを外してワイシャツのボタンを外し、首筋を露にして首筋の血管を狙って噛み付いた。牙が首筋の血管に食い込んだ瞬間、彼が暴れたせいでごく少量だが血液が私の口の中へ入ってきた。

「反吐が出そうだ」

 私は、その血を唾と一緒に吐き出しながら言い、倒れるようにしてベットに仰向けになった。

 反吐が出そうなのは、血を飲み込んでしまったからだけではなかった。百合池とも『共有・共感現象』を起こしたことで、二人分の意識が一度に流れこんで来たからだった。それはまるで、汚水を精神に流し込まれているような感じがした。

 ……その薬を使えば都合二人までは五感の共有と身体の操作が可能になる。けれど、気をつけたほうが良いよ。慣れないうちは、二人以上の人間と『接続』すると、最悪意識を失う場合があるから。それに、二人の人間の身体を操作するには、その分の意識の集中が必要になるから、結果として自分の身体が動かせなくなって無防備になるからね。

 少年の言葉を思い出しながら、「ふん、相変わらず使用上の注意に嘘が無い……」と私は呟いた。

 自分の視界が二重、三重にぼやけ、急速に意識がフェードアウトしていく一瞬の刹那の間に、私は一つの光景を思い出していた。

 

 

 ……強い煙草の煙が立ち込める薄暗い室内と裸電球の眩しい光、そして、その中で賭け花札やビリヤードに興じる男達。

 それが私が最初に連れて来られた組の施設だった。

 そこが『保管庫』とか『待機所』と呼ばれる場所だと知ったのは後のことだったが、自分がこれから組の中で進む道が表街道のものではないのだ、ということを改めて覚悟するには十分な場所だったと思う。

 私の肩を軽く叩きながら、私の傍らの男が「今日から仲間になる新入りの紹介だ」と彼らに言葉をかけた。

「ガキか……」誰かが言った。「組も随分と人手不足なんだな」

「愛想の無いガキだな」

 それが私のかつての兄貴分だった男の最初の言葉だった。

「ここはあんたのようなガキが来る場所じゃないよ」

 そう言ったのは、私の知る限り最も「凶悪」と言われた『始末者』の一人で、私より少し年上なだけだったが、後に様々な面で私の師匠になった女性だった。もっとも、『始末者』の末路がどのようなものかを教えてくれた女性でもあったが……

「君、どうしてここに来たんだい?」

 人当たりの良さそうなこの場に似つかわしくない、部屋の一番奥で椅子に座って新聞を読んでいる男が質問してきた。私はその時、彼が『御曹司』だと知らなかった、

「ここが、どういう場所で、君がこれからどんな仕事に就くか、分かっているんだろう?。なぜ、君のような少年がここに来たんだい?」

 その質問に私は……私はなんと答えたのだろう?

 思い出せない……それが私の行動原理、求めていた答えに繋がるヒントになるというのに。

 

 

 そして再び意識を取り戻した時、私の意識は私の身体の中には無く、百合池の身体に入り込んで彼の身体を支配していた。

 私、いや私の操る百合池は、テーブルの上から銃を手に取りマンションを後にした。

2008-06-15【再生者】の扱いについて このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

さて、【再生者】というのはゆらぎ世界では扱いが二分されるようです。

一つは忌み嫌われて人間世界で生きていけなくなる……所謂怪物の原型とされるようです。

もう一つは「神の奇跡」として扱われる。それが幸せかは知りませんが、救いのあるパターンです。

おそらく「死」に対する観念は国や地方、宗教によって違いますからこのようなことが起きたのだと思います。

さて、以前頭だけ書いた小説の続きです。

2.死者徘徊(1)

 『掃除屋』の賀茂 亮介の表の仕事は、冗談としてはうかないことに小さなハウスクリーニングの会社の社長だった。

 本人の言葉によれば、それは結構儲かる仕事らしく、そのうち裏の『掃除屋』を辞めてこちらの『掃除屋』で食っていくことを真剣に考えているとのことだったが、その言葉を聞いて数年以上経過している今でも、彼が裏の『掃除屋』から足を洗ったという話は聞いたことが無い。

 その日は、仕事で従業員が全員出払っているためか、元は花屋が入っていたという事務所代わりのテナントには彼が一人居るだけだった。彼は、店内に私が入ってきたのに気付いて、私を客と勘違いしたのか、愛想の良い顔で立ち上がった。

「いらっしゃい、清掃のお仕事の依頼でしょう……」

 そこまで言って、彼は大きく目を見開き、口を半開きにしたまま後ずさった。

 事実を知るにはそれだけで十分だった。やはり、私は死んで『掃除』されたらしい。

「馬鹿な……馬鹿な!、あんたは確かに俺が……」

「酸で溶かして死体は始末したはずだ、だろう」私は、彼の台詞を先取りして言った。「新人の時に、どうやって死体を処理するのか見せてもらったことがあるからな。最初に見たときは昼飯をぶちまけて、兄貴から怒られたもんだ」

 俺はカウンターを越えて、彼の前に立った。

 彼は慌てて後ずさったが、そんな彼を俺はわざと壁際まで追い詰める。肩で息をする彼の顔は真っ青で、文字通り幽霊でもみたような顔をしていた。

「そんなに驚くな。死んで蘇っただけだ」

 私は上着のポケットから煙草を取り出して火をつけながら言った。

「嘘だ。だって、あんたは確かに俺が『掃除』したはずだ!」

「100万回石を空に放り投げれば、一回ぐらいは地面に落ちてこない石があるかもしれないだろう。つまりはそういうことだ。なぜ、とか、どうして、なんていうのは学者先生にでも究明してもらえば良い」

 そう言ってから、私は煙草の煙を、冷や汗で前髪が額にへばりついている彼の顔に吐き出した。

「……これで私も事実を認めざるを得ないことが分かった」

 私は、そう言って彼の襟を掴み、半ば無理矢理椅子に座らせる。彼は、まるで無抵抗な人形のようだった。

「まぁ、落ち着いてくれ。少なくとも私がお前をどうこうしようという気は無い。ただ、一つだけ、聞きたいことがあるんだ」

「き、聞きたいこと……ですか?」

 俯きながら彼は答えた。まるで私の顔を見ると、呪われでもしてしまうと言わんばかりの態度だった。

「そうだ。お前、私の死体以外に女の子の死体も処分したか?」

「女の子……ですか」

「あぁ、年の頃14歳が15歳ぐらいの女の子だ」

 彼は暫く黙った後、静かに首を横に振った。

「本当か?」

 私が詰問するように言うと、「本当です、本当にやってません。最近『掃除』を依頼された死体の中にそんな死体はありませんでした」と慌てたような口調で彼は答えた。どうやら嘘ではないらしい。

「そうか。それなら良い。用事はこれだけだ、邪魔したな」

 彼は私の言葉に答えず、椅子に座ったまま自分の体を抱きしめるようにして震えていた。それはまるで、自分が目にした事実を必死になって夢が幻だと信じ込もうとしているようだった。

「そうそう、一つだけ謝っておく。この事務所、禁煙だったな」

 私はそう言って、咥えていた煙草を床に捨て、靴でもみ潰した。

 たった、それだけの動作だったが、彼は驚いたように体を竦めた。

「今日のことは、悪い白昼夢でも見たと思って忘れるんだな。お前が黙っている限り、私がお前の前に現れることは二度とない」

 返事は無かったが、そんなものはもう必要が無かった。

 少なくとも、あの少年の言っていた、私は死んだという事が事実だと分かったのだし、そして……あの娘、梅谷 舞花は、少なくともまだ死んではいないのだから……。

 

 

 「それで、君はどこまで知っているんだい」

 あの日、アパートの入り口で蹲っていた少女を自分の室内に招き入れた後で、私は彼女に聞いた。

「お父さんがこの街を牛耳る暴力団の先代組長の息子、貴方達の言う『御曹司』で、まだ現役だったときに貴方がお父さんの部下だったことは知っているわ」

「……お父さんから聞いたのかい?」

 思わず眉をしかめた私に、少女は首を横に振った。

「お父さんについては、お婆ちゃんが死ぬ前に教えてくれたわ」

 ……姐さんが

 先代が死んで若頭と組長の御曹司のどちらが組の跡目を継ぐかで組が二分した時、候補者から自ら降りたのは彼女の父親である御曹司だった。自分の懐刀、つまり私の兄貴分が轢き逃げという不審な死を遂げたのを見て自分の身可愛さに尻込みしたのだ、というのが幹部衆の見解だったが、私はそうではないことを知っていた。このまま対立を続けて身内の犠牲者が増えることに耐えられるほど、あの人は冷酷ではなかった……言葉を変えれば優しすぎたのだ。だが彼の母親にはそのことも、その後この稼業から彼が足を洗ってしまったことも我慢が出来なかったのだろう。だから、この娘に全てを喋った、という所に違いない。

「あなたについてはお父さんが、よく話していた。生きるのに不器用な男だって」

 ……まぁ、その通りだ

 つくづく人を見る目に狂いの無い人だ、と私は思ったが、それは私を見ている全ての人が思っていることなのかもしれなかった。

「それで、どうしてその『不器用な人』に器用さを要求するお願いをしに来たんだ?」

「あなたが……『始末者』としては腕に間違いの無い人だと聞いたからよ」

 私は自分の顔が強張ったことに自分でも気付いた。「それも姐さんが話してくれたのか?」と聞く声も太くて低いものに変わっているのが自分でも分かった。

「半分はそう、でももう半分はお父さんからよ」

 それは意外な回答だった。『始末者』というのは、組の中でも組長や上級幹部といったごく一部の人間だけが知る存在で、その仕事は所謂『殺し屋(ヒットマン)』だ。だが、『鉄砲玉』と違い、我々の仕事は物事を『闇から闇へと葬り去る』ことで、攻撃対象の死体を残すのが『鉄砲玉』なら攻撃対象を死体も残さず『行方不明者』にしてしまうのが『始末者』だった。そして、『御曹司』は一時、その『始末者』を束ねるという、いわば組織の上層部としては汚れ役を引き受けていた。姐さんが『御曹司』に極道として生きることを踏み切らせるためにそうしたのだ、というのが専らの評判だったが、結果として彼が跡目争いから降りたのは、多分、その時の経験で極道の何たるかを知ってしまったからだと思う。その彼が『始末者』について、例え相手が自分の子供だからと言って、喋ってしまったというのは考えづらいことだった。

「正確には、お父さんの言葉から推測したの、あなたが腕の良い『始末者』だってね」

「……お父さんは何を言ったんだい?」

「何かあったら、あなたを頼れって。きっとお姉ちゃんと私を助けてくれるって。だから全ての情報から考えて、あなたは『始末屋』、それも腕の良い『始末屋』でお父さんに恩がある、そう考えたの」

「鋭い勘だね、お嬢さん」私は、煙草に火をつけながら言った。「聡明な所はお父さんに似たようだね。だが、残念だが私では力になれないよ」

「……どうして?」

 私は咥え煙草のまま立ち上がり、お茶を入れる為に急須と湯飲み茶碗を取ろうとした。だが、私は手は湯のみ茶碗を取りそこね、湯飲み茶碗は床に落ちて粉々に割れた。

「つまりは、こういうことだよ。任務の最中に私は目を怪我してしまってね、たまにこのように殆ど物が見えなくなるんだよ。医者、と言っても闇医者だがね、彼の話ではそのうち何も見えなくなるそうだ」

「……」

 私は、視界が元に戻るのを待ち、箒と塵取りで砕けた湯飲みの残骸をかき集めながら少女に言った。

「お父さんは聡明なお方だ。何がこれから起きるのか察しておられるのだろうね。君は、何が起きるのか分かっているのかい?」

 私が言うと、少女は首を横に振った。

「でも、自分に何かがあったら貴方に頼れ、なんて突然言うぐらいだからお父さんに命に関わる危機が迫っているんでしょう?」

 なるほど、やはり彼女は聡明だ、と私は改めて思った。父親のその言葉から、これから何かが起きることを察知したのだから。

 だが、運はよくないようだった。その頼りにするべき人間は、眼の怪我というこの稼業にとって、いや少女の願いを叶えるには致命的な怪我を負って廃業していたのだから……

「良いだろう、教えよう」

 私はお茶を諦めて、少女の目の前に戻りながら言った。少女は黙って、私の私の言葉を待っていた。

「今の組長は猜疑心が強く、その反面強欲なお方だ。お陰で組は先代の時よりずっと大きくなった。だが、その分敵も増えた。それを嫌っている組内の勢力がお父さんを組長に祭り上げようとしている」私は煙草の煙を吐き出しながら言った。「組長は組内部の自分に反対する勢力を絶つため、そして後々の跡目争いの心配を絶つためにお父さんを亡き者にしようとしている」

 それは、私が組織に居た頃から聞いていた話だ。

 実際、私がかつて『御曹司』派だったことから、反組長派の幹部から自分達の味方になるように話が来たこともあったが、私はその話を断っていた。私が『御曹司』派にいたのは、あくまで当時の兄貴分が『御曹司』派だったからで、その兄貴分が死んだ今となっては、私自身にとってはどうでも良い話だった。

「私以外で君のお父さんに恩がある人間の中には、お父さんを守ろうとしている者達もいるようだが、多勢に無勢だ」

「……」

「例えこの街から逃げても彼らはお父さんを追ってくるだろう。悪いことは言わない、お父さんを置いてお姉さんを連れてこの街を出るんだ。そのための手助けなら、私にも出来る」

 いくら彼らでも子供の命まではとらないだろう、と私は考えていた。

「分かりました、つまりあなたは父を助けてくれないわけですね」

「助けてあげないんじゃない…助けられないんだ」

 私は出来るだけ静かな口調で言った、心の中のどこかで、これは言い訳じゃない真実だ、と自分に言い聞かせていることに気付きながら……。

「それに、私は組から『退職金』を受け取ってしまった立場なのでね。組に表沙汰だって反逆することはできないよ」

「もう、良いです」

 少女は立ち上がって、部屋から出ようとした。

「お待ちなさい、お嬢さん」私は少女を呼び止めて言った。「さっき言ったこと、実行するつもりならいつでも連絡をよこしなさい。そのぐらいなら私でもしてあげられる」

「お父さんを置いていくなんて、出来るわけ無いでしょう!」

 暫くの間、少女は私を睨み付け、そして乱暴にドアを閉めて部屋から出て行った。

 少女が出て行った後で、私は煙草を灰皿に押し付けてもみ消し、ゴロンと横になった。

 ……仕方ないじゃないか、私は……私にはもう出来ないんだ……

 だったら怪我さえしていなければ私は少女の依頼を受けたのか?と私は考えたが、結論は出なかった。

 

 

 そのバーは煙草を吸いなれた俺ですら、一口息を吸い込んだだけで咳をしそうなぐらいに酷く煙草の煙が充満していた。

「何も変わっちゃいないな」

 俺は思わず小声で呟いていた。

 移ろい変わり行くのが世の中だとは言うが、短期的な目で見れば変わらないものもある。

 このバーがそうだった。

 俺が生前に最期に来たときから……いや、それよりもっと前の現役時代と少しもこの裏通りにある寂れたバーは変わってはいなかった。年中酷く景気が悪そうなことも、安酒と煙草の酷い匂いで充満していることも、これじゃ客も寄り付かないだろう、という無愛想なマスター(髪の毛は随分と白くなったが……)も、そしてのカウンターで安酒を煽っている小柄な男も。

 私の知っている限り、彼は日がなこのバーで安酒にくだを巻いている。だが、どこでどうしたものか、彼は町で一番の『情報屋』だった。働いているようには見えないが、彼の元には街中の情報が集まってくるようになっているのだ。その理由は、彼が私の知らない所で情報を集めるために足を棒にしているからかもしれないし、若い時分にそのようになる仕組みを作っていたからかもしれない。ただ、確かなことは、そんなことはどうでも良いということだった。

「不景気なようだな、相変わらず」

 私は外套の襟を立て、サングラスをかけたまま彼の横に座り、わざと声音を変えて言った。

 彼は、一瞬だけジロリと私を睨んだが、すぐに何事も無かったかのように無言のまま再び酒を煽り始めた。

「仲間を売って懐が暖かいかと思ったが、そうでもないようだな?」

 追い討ちをかけるような私の言葉に、彼はピクリと眉を上げ、「旦那、何が言いたいんで?」と言ってきた。

 釣りに例えれば、今、彼という魚は上手く餌に食いついたというわけだ。

「他意はない。つまりはそういうことだ」

「あんたにゃ、関係の無い話だ」

 彼はそう言い、安酒を瓶からラッパ飲みした。多少は動揺しているらしい。

「関係が無い……はたしてそうかな?」

 私はサングラスを外し、彼に顔を向けた。

 私の顔を見て、老人は驚いたように呑んでいた酒を吐き出し、椅子から床へと転げ落ちた。

 無理も無い、『死人』がいきなり目の前に現れたのだから……

「ば、馬鹿な、あんたは、確かに……」

「残念だが、その馬鹿な、だよ。何のトリックもないし、面白みのある話もない」

 老人は、歳に似合わぬ敏捷な動きで私の横をすり抜け、バーのドアを開けて裏路地へと逃げ出した。私は、その後ろを追いながら、あの時公園で会った少年の言葉を思い出していた。

 ……『再生者』はね、通常の人間以上の身体能力を発揮することが出来るんだ。まぁ、どのぐらい通常以上かはあんたが時分で試してみることだね。

 歳に似合わず素早い動作で走って逃げる老人と私の距離は、生前の私だったら間違いなく追いつくことはできない程離れていた。だが、今の私には大した距離ではない。私は軽い助走の後跳躍して老人の前に立ち、その逃走経路を塞いだ。老人は慌てて、私に背中を向いて正反対の方向に逃げようとしたが、同じ動作で再び老人の逃走経路を塞ぐ。

「無駄だ、諦めておけ」

 私が低い声で言うと、老人は懐に手を突っ込んで何かを出そうとしたが、私は老人がそれを懐から取り出す前に掴んで捻りあげた。その拍子に、老人のポケットから鈍く黒光りする拳銃が音を立てて落ちる。

 私は老人の手を捻り上げたまま、彼を壁に叩き付けた。

「上手い商売を考えたものだな、爺さん。旧『御曹司』派に、御曹司の敵討ちをそそのかして、その半面で決起の情報を組に売りつけたわけだ」

「違う、あっしは……」

「おかげで、待ち伏せを受けた旧『御曹司』派は全滅だ。私もな、その時死んだんだよ。比喩とか例えじゃなくて実際にな」

 私はさらに力をこめて彼の腕を捻り上げた。老人は「ちがう、あっしじゃない」と悲鳴をあげながら言った。

「今更言い訳か、爺さん」

「あの計画の絵を描いたのは私じゃない、私は『儲け話』があると聞かされて手伝っただけなんだ!」

 多分、老人の言葉が本当なのだろうことは私にもなんとなく分かっていた。だが、私はわざと「この期に及んで責任転嫁の嘘か?。吐くんだったらもう少しまともな嘘を吐け」とさらに強い力で老人の腕を捻りあげた。

「本当だ、本当なんだ!。信じてくれ!、あの計画の絵を描いたのは、百合池さんだよ!」

 私は、捻り上げていた老人の腕を離した。

 老人の言葉に多分、偽りはない。あの最後の瞬間、待ち伏せに遭って敗走する途中の私を殺したのは百合池 透、『御曹司』派の筆頭だった男なのだから。

 

 

「あなたも焼きが回りましたね」

 脚を撃たれ、苦悶の声を上げながら地面を這う私の耳に聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だった。

 歯を食いしばり、顔を上げた私の視界の中に居たのはサングラスをかけ、髪の毛をオールバックで纏めた恰幅の良い大男だった。

「百合池さん、あんた……」

 裏切ったのか、と言おうとした私の撃たれていない方の脚に激痛が走った。

 男が手にした小銃の銃口からは真新しい硝煙が上がっていた。

「引退したのですから、こんな企てに乗らないでおとなしくしていれば良かったんですよ。そうすれば、こういう結末にはなりませんでした」

「……」

「それとも、忠義とかいうやつですかね?。あんたのように組にとって使い捨ての『犬』がそんな心を持っても報われることなんてないんです。子供が異性のアイドル歌手に憧れるようなものですよ」

 男に言われて、俺はどうしてここにいるのだろう?とふと考えた。

 ……感傷か?

 私は少女の顔を思い出す。

「……あなたのせいで、お父さん死んじゃったじゃない!」

 涙でくしゃくしゃになった顔……そして、私を睨みつける純粋な怒りの感情を露にした眼。

 だから、多分、一部はそれだ。だが、それは完全な答えではない。

 ……ではなぜ?

 考える私の頭に、男は銃口を向けてきた。それは決して外れる距離ではなかった。

 だというのに、私には死に対する恐怖も、感慨も、何も無かった。

 ……ここで俺は死ぬのか

 ふと、俺はそう思っただけだった。

 ……どうして俺はここにいるんだろう?……いや、どうしてこんなことをしているんだろう?

 銃声の直後に、銃弾が頭の表皮を突き破り頭蓋を砕いて脳へめり込んでいく瞬間になって、俺はそう思った。

 ……多分、それが知りたかったんだな

 それが覚えている限り、普通の人間としての私の最期の思考だった。

 

 

 老人は、私から這うようにして逃げようとした。だが、私はその襟首を掴んで言う。

「待て、誰が行っていいと言った?」

「ゆ、許してください、旦那。あっしは、もう……」

 顔を引きつらせながら老人は言ったが、わたしは我ながら邪悪な笑顔に顔を歪ませながら老人の胸倉を掴み、そして無理矢理その口を開けさせた。私の手の中には、あの少年から貰ったカプセル状の薬があった。

 ……それは『人形作り』って言ってね、中世の戦場で兵士達が、慰み者にするためにかどわかして来た娘達が言うことを聞くようにするために使っていた薬のレプリカだよ。十字軍戦争の時に中東からヨーロッパに持ち込まれた薬なんだけど、処女すら娼婦に変えるって言うんで、当時の戦場では爆発的に流行したんだけどね、その危険性から時の権力者達によって徹底的に弾圧された薬でもあるんだ。なにせ、処女すら娼婦に変えるというのは、言葉を変えれば、忠臣や寵妃すら暗殺者に変えるってことだからね。まぁ、当時は魔女裁判や異端審査なんてものもあったから、それにかこつけて権力者達は罪をでっち上げて、その薬の製造者達を徹底的に弾圧したわけさ。ま、さっきも言ったけど、それはそのレプリカだからそこまで効果はないんだけどね……

 私はその薬を彼の口の中にねじ込み、そして無理矢理飲み込ませた。

 私が手を離してやると、老人は地面にしゃがみ込んで苦しそうに咳き込みながら、「旦那、あっしに何をしたんです?」と聞いてきた。

「何を『した』んじゃない。何を『する』んだよ」

 私は、そういって彼の両肩を掴んで立たせた。『再生者』になった私にとって、老人の体重は張子の人形ほども感じられなかった。

 ……再生者になった、あんたの歯の裏には、出し入れが自由な牙があってね、そいつで相手に噛み付くと……

 私は口を開け、おののく老人の首筋に噛み付いた。私の歯の裏にある牙が飛び出し、老人の皮膚を切り裂いて血管に突き刺さり、牙から分泌された体液が老人の血液に溶けていくのが感じられた。それは、まるで蛇が時分の口内に閉じ込めた獲物に止めを刺すために毒牙を突き刺す行為に似ていた。

 老人は悲鳴をあげたが、やがてその声も静かになった。

 私はゆっくりと老人の首筋から牙を抜き、そして言った。

「これでお前は、もう私には逆らえない……お前の見るもの、触るもの、感じたものは全て私のものだ」

 それは、昔テレビで見た吸血鬼の台詞に似ていた。だが、事実だ。

 ……その牙はある種の毒を分泌できるようになっているんだ。その毒によって、噛みつかれた相手と『再生者』は五感の共有が出来るようになるし、意識を集中すれば相手が拒絶したり、それがその相手にとって禁忌になる行為じゃない限り相手を時分の意のままに操ることができるようにもなる。もっとも、よっぽどの熟練者じゃない限り相手を操っている間は自分の体を動かすことが出来なくなるんだけどね……

「疑うのならば、試して見ようか?」

 私は、そう言うと先程の拳銃を拾って老人の手に握らせた。

 老人は即座に、私に銃を向けようとしたが、その銃口が私に向けられることは無かった。銃口が向けられたのは老人自身だったのだ。そして何が起きたか分からず慌てる彼をよそに、銃身は彼自身の手によってその口内に少しづつねじ込まれていった。彼は歯を閉じたり、首の位置を動かして銃身を口内から吐き出そうとしたが、抵抗空しく銃身はすっかり彼の口内に消えてしまい、そして自分の手によって銃の安全装置が外された。

 ……でもね、この薬を最初に飲ませててから毒を体内に入れるか、毒を体内に入れてからこの薬を飲ませれば、『再生者』に対する体の操作の拒絶は出来なくなる。例え、それがその人間にとっての禁忌事項でもね……

 声にならない悲鳴に続き、銃声が一発路地裏に響いた。

 住人の何人かが驚いて窓を開けたが、すぐにその窓は閉じられた。触らぬ神に祟りなし。この路地裏では別に銃声や悲鳴ぐらいは珍しいものではないのだ。酔っ払いや粋がったガキが窓という窓を狙って銃を乱射しているのならまだしも、一発ぐらいの銃声ならば自分が被害に遭わない限り気にするわけもない。

「これで分かったろう?」

 私は、銃を空に向けたまま放心状態で力なくその場に座り込んだ老人に言った。その怯えきって冷や汗に濡れた顔は、すっかり土色になっていた。

「お前は私を裏切れない。お前が考えていることや、お前がとった行動は、これから四六時中私に筒抜けだからな」

 私は嘘を言った。あの少年が教えてくれたことに拠れば、私が彼の体内に流し込んだ毒が効力を発揮するのは最長で5日程度、短ければ1日ぐらいだ。また、老人に飲ませた薬が効力を発揮するのもせいぜい1日が限度なのだ。

 だが、嘘は相手に分からなければ嘘ではない。

「下手なことを考えたり、私の命令に逆らうのならばお前の頭はその時点で砕け散る」私は、老人の内ポケットに銃を戻しながら言った。「分かったな?」

 老人は慌てたように首を縦に振った。

「それでは、さっそく仕事をしてもらおうか。頼みたい仕事が2件ある」

「なんでしょうか…」

 老人は、すっかり力なく肩を落としながら言った。

「一つは百合池に関する情報を集めてもらいたい。そうだな……例えば、彼が一人になる場所、もしくは護衛がいなくなる場所を特に調べてもらおうか」

 老人は首を縦に振った。迂闊なことを言って、私の機嫌を損ねないようにするためかも知れなかった。

「もう一つ、御曹司のもう一人の娘の安否の確認をとってもらいたい。そして、まだ生きているのならば私の所へ連れてきてもらおうか」


 少女と再会したのは、記憶が正しければ丁度最初に会ってから1週間後だったと思う。

 彼女は、やはり私のアパートの入り口に蹲っていた。

「やぁ、君は……」

 私が声をかけると、少女は立ち上がり、俯いたまま私に近づいてきた。

「どうしたね?。私の言う通り街を出る気に……」

 そして、私が喋り終えるより前に、彼女は突然私の頬を平手で打ったのだった。

「あなたのせいでお父さん死んじゃったじゃない!」

 呆然とする私に、怒りをこめた口調で彼女は言った。

 ……御曹司が死んだ?

 私には、まだ少女の言った言葉の意味が分からなかった。

「君……」

「貴方のせいよ!、貴方が守ってくれなかったから、お父さんは……」

 そこで彼女は言葉に詰まり、俯いていた顔を上げた。

 そこには涙を湛えた、真っ直ぐに私を見据える怒りに満ちた瞳があった。

「『御曹司』は……お父さんはお亡くなりになったのかい?」

「そうよ、昨日の晩、誰かに銃で撃たれて死んだわ」

 ……そんな

 私は何を言っていいのか分からず絶句した。思っていたよりも事態は早く展開してしまった。

「私は……」

 私は、少女に何か言おうとしたが、少女は踵を返して私の目の前から走り去った。

 私は少女の後を追ったが、既に少女はアパートを出て何処かへ消えていた。

 仕方なしに、私はアパートの自分の部屋に入り、普段は観ないテレビのスイッチを入れた。

 やがて始まったテレビのニュース番組では、この街で起きた銃殺事件についてアナウンサーが無機質な声でニュースを読み上げていた。そして、アナウンサーが読み上げた犠牲者の名前はまごうことなく『御曹司』の名前だった。

 私は、ただ、呆然とテレビの画面を見つめ続け、少女が言った言葉を頭の中で反芻した。

 ……あなたのせいでお父さん死んじゃったじゃない!……貴方のせいよ!、貴方が守ってくれなかったから、お父さんは……

 私は仰向けになり、「仕方なかったんだ……」と呟いたが、その言葉が自分に対する言い訳にしか聞こえなくなっていた。

 私の選択は決して間違えてはいないはずだった。眼を怪我した私が御曹司の護衛をしても、御曹司を守ることはおろか他の護衛の足手まといになったかもしれないのだ。だが、私が御曹司の護衛についていれば違う結末だってあったのかもしれない。せめて彼女を傷つけずに済んだ、違う結末が……

 御曹司派の百合池から御曹司の仇討ちの話を切り出されたのは、その日の晩だった。

 私は……なぜ、そうしたのか自分でも分からなかったが、一も二も無くこの話に飛びついていた。

2007-08-28【小説】フウイン/0 完結篇 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

というわけで完結編です。

読んでいただいた方、どうも長らくありがとうございました。

この時期、ノワール小説に傾倒していたんですね、私。

本当に影響されやすいのがよく分かる。



・後編(完結編)

今にして思えば、俺は本当は事実に気付いていて、最初から誰が犯人だったのかを知っていたのかもしれない。

だとすれば、何故俺は事実から目を塞いでしまったのだろう?

多分それは……


店の入口には「本日臨時休業」の札が下げられていたが、店の扉には鍵がかかっていなかった。店に入ると腕に包帯を巻いた女主人が店内の椅子腰かけたまま煙草をふかしながら酒を呑んでいた。

「どうしたのさ……」

変わってしまった俺の姿を見て彼女は驚くのではないだろうか?、と俺は思っていたが、予想外にも彼女は少しも驚くことなく、いつも通りに無愛想な声で俺の方に顔を向けないで言った。

「まるで幽霊でも見たような酷い顔してるじゃないか」

「なぁ、嘘だよな……」震える唇で、俺は懇願するように言う。「理沙を殺したのは……本当はお前……のわけないよな……」

否定して欲しかった……「そんな馬鹿なことあるわけ無いじゃない」とでもいつもの口調で言って欲しかった……けれど、返事は無い。

「なぁ、嘘だといってくれ……お願いだから」

俺は、彼女の肩を掴み、叫ぶようにして言った。

これ以上沈黙が続いたら気が狂いそうだった。

だが、女主人は「よしてよ、酒が零れるじゃない」と言ってグラスの中に残った酒を一気に飲み干すと、こともなげに言った。

「そうだよ。殺ったのはあたし……」

俺は息を呑んだ。

……今、何て言ったんだ……

俺は彼女言葉を信じたくなくて、その言葉が聞き間違えだと信じようとした。だが、俺の目と鼻の先に近づけたその顔は、いつもの彼女の無愛想な顔ではなかった。そこにあったのは嘲るように歪めた顔だった。

「忘れたかい?。理沙死体の第一発見者はあたしだったんだよ。あの子、あたしが発見した時にはまだ生きてて、少し錯乱していたけど意識もはっきりしていたのさ」

何か冷たいものに自分の心臓を掴まれた気がして、俺はその場に座り込みたい衝動に駆られたながら彼女の肩から両手を離した。

世界は今、確実に崩壊を始めていた。

「ずっと理沙が憎かった。気に食わなかった。あの子の無邪気な笑顔を見る度に傷つけてやりたいと思っていた。だから理沙発見した時、あの子が何をされたか一目でわかったあたしは、ざまぁ見ろと思ったよ。いい気味だとも思った」

喉がカラカラに渇いて、俺には何も言えなかった。

ただ、予想外の事態に対する悪寒に体が震えていた。

「あたしは早速あの子を立ち上がらせると手を引いて歩かせてやった。あんたに理沙の惨めな姿を見せてやるためにね。汚された姿を見て、あんたがどんな顔をするか想像しただけでゾクゾクしたよ……あの子、あたしの手を握りながらなんて言ったと思う?。『もう、会えない……会わせる顔が無い』って、あんたが今の自分を嫌って会ってくれなくなるんじゃないかって、そのことばかりを気にしていた」

「……もう、止めてくれ」俺は、事実を喋るように言ったのが自分だということも忘れて両手で耳を塞ぎながら言った。「そうすれば良かったじゃないか……殺す必要は無かったじゃないか……何故殺した?……自分の妹だろう?……たとえどんな目に遭っていても、俺は……」

「だからだよ」

座り込んだ俺を見下ろすようにして、彼女馬鹿にするように、そして吐き捨てるように言った。

「でもすぐに気付いたんだ……あんたは、そんな理沙を、それでも結局は受け入れるだろうって……だからあたしはたまたま落ちていた紐であの子の首を絞めてやった。あんたが幸せになるなんて許せない……あんたなんて、惨めに一人で死ねば良いんだ、と思いながら」

それは理性が吹き飛び、殺意が俺を塗りつぶすには十分な言葉だった。

気が付けば俺は立ち上がって彼女押し倒し、馬乗りになってその首を絞めていた。おそらく、あの日彼女が自分の妹にそうしたように……

あと少し彼女の首を絞める手の力を強めていれば彼女の首は容易に折れていたに違いない。なのに、俺には結局出来なかった。

血の気が引いて次第に土色になっていく彼女の顔に、理沙の顔が被ってしまったから……そして、その瞳が瞬き一つせずに俺を見つめていたから……

俺は彼女から慌てて両手の指を離すと、彼女から降りて床に座り込んだ。

酷く疲れて、混乱していて、嘔吐したいぐらいに気分が悪くて……もう俺にはどうしていいのか分からなかった。

店内の静寂の中で、彼女の咳き込む音だけが静かに響いていた。

「人の幸せ真実を知ることだ」と、子供の頃に教科書の中で誰かが言っていたが、実際には、真実を知ることは何一つ俺を幸せにはしてくれなかった。嘘の中にいて、嘘を信じていた方が余程幸せだった。

「結局、あんたの中には理沙しかいなかった……あたしには一度だって本気になってくれなかった……」

ふいに背中越しに掛けられた言葉に振り向くと、彼女は仰向けになりながら両手で顔を覆っていたが、その指の隙間から一筋の涙が流れ落ちて頬を伝っていた。

「あの子、最期になんて言ったか分かるかい?」

ふいに投げかけられた質問に、「……いや」としか俺は答えられなかった。

「あの子……自分を殺そうとしているあたしに……『ごめんね、お姉ちゃん』って言ったんだ。あたしはあの子を憎んでいたのに、あの子はあたしを最期まで愛してくれた。あたしは慌てて両手を離したけど、手遅れだった……」

「……」

「あたしは、自分の取り返しの付かない罪を誰かに罰して欲しかった……情状酌量も同情も欲しくなかった……だから第一発見者を装った……すぐに誰かが事実に気付いて、あたしを憎むべき犯罪者として罰してくれると思ったから……その時に少しでも重い罪になりたかった……でも、結局あたしが犯人だという証拠は挙がらないで、事件は風化していった」

彼女は震える声で言った。

そこには、いつもの無愛想な酒場の女主人はいなかった。

そこにいたのは俺の知っていた、よく泣き、よく怒る幼馴染の明美だった。

「……何で、理沙が憎かったんだ?」

それを知ってしまったら、もう二度と取り返しがつかなくなることは俺にも分かっていた。けれど、聞かずにはいられなかった。それが俺のせめてもの義務のような気がしていた。

「何で?……あんたはもう知っているんでしょ?」

彼女の言う通り、本当は分かっていた。けれど、自分の頭でそれを理解することが怖かった……俺は、結局のところ臆病者だった。

「姉妹で同じ人を愛することがどんな悲劇に繋がるか、あたしには分かっていた。でも、結局そうなって……そして、あんたの中には、いつだって理沙しかいなかった。あんたがあたしと付き合ってくれたのだって、理沙の代わりとしてだった……」

俺には、彼女言葉が否定できなかった。自分では認識していなかったが、多分、彼女の言う通りだ。

壁が出来た後のあの絶望的な雰囲気の中で、無理をしてでも笑みを絶やさなかった理沙は多分、俺にとって、いやこの街にとって眩しすぎたのだ。

そして、俺は自分が隣にいて彼女を傷つけることを恐れてしまった。

けれど理沙を諦め切れなかった……だから二人とも選ばないという選択をしないで、明美の方を選んだのかもしれない。

「本当は分かっていた。でも嘘でもいいから信じていたかった……あんたが自分の隣にいてくれているという現実を……だからあんたに抱かれたのに、あんたは……」

俺の頭のなかで、理沙が殺された日の記憶が蘇った。

あの日、俺と明美は初めて肌を重ねた。

だが、それは妥協の結果としての産物でしかなかった。

俺は理沙を思う自分の心にケリをつけたかったし、明美は目の前の現実の真偽を確かめたかった……ただそれだけの理由だった。

多分、理沙偶然その光景を見てしまったのだ……それはきっと、理沙にとってすぐには認めたくない光景だったのかもしれない。だから、逃げるようにしてあの場所……壁が出来る前からいつも悲しいことがあった時に逃げ込んでいた場所である河原へ、俺が誕生日プレゼントとして贈ったイヤリングを持って行ったのだろう……その先に待ち受けている運命なんて知らないまま……。

そして、俺はきっと明美を抱きながらも理沙のことを考えていて、明美は、その時は何も言わなかったが、全てを悟ってしまったのだ。

それが引き金になったというのならば、何のことは無かった。理沙を殺した犯人は、突き詰めれば自分だったのだ……

「あたしは……少しでいいから、あんたにあたしをあたしとして愛して欲しかった……あたしをあたしとして見てもらいたかった。もし、あんたがあの時あたしを本気で止めてくれたら、あたしは、例え何もかもを捨てることになっても、あんな蛙面になんか抱かれなかった。今だってせめて、あたしを本気で殺してくれたら……本気で憎んでくれたら、あたしは救われた……」

「明美……俺は……」

俺は彼女に何を求めようとしたのだろう?

今となっては自分でも思い出せない。

「出て……行ってよ」

彼女は嗚咽混じりの声で、途切れ途切れになりながらそう言った。。

「あたしを殺してくれないんだったら、ここから出て行ってよ!。せめて一人にしてよ!。もう、二度と来ないでよ!」

俺は……本当はどうすれば良かったのだろう?

とるべき行動はきっと他に有ったに違いない。

けれど、警察官としても人間としても失格な俺にできたのは、彼女を置いてその場を立ち去ることだけだった。

通りではまだ雨が降り続けていた。俺に無情に降り続くその雨は、俺の体を容赦なく濡らしたが、俺の何も洗い流してはくれなかった。

……ここから逃げ出せなかったのは何故だろう?……

ふいに俺の頭をこの疑問が過ぎったが、今の俺には答えが分かっていた。

ここには居場所があったからだ。

けれど、その居場所は今や無い。俺は獣になり、この通りを出て行くことができる。

望みは全て叶ったはずだった。

けれど、何一つ幸せじゃなかった。


結局、『先生』はこうなることを知っていたんだろうか?

それを知る術は今となってはない。

あの事件から一週間後、街に入ってきたマフィアに雇われた殺し屋によって『先生』が殺されてしまったからだった。

先生がどんな過去を生き、最期にどんなことを考えたかなんて分からない。けれど遺体収容所で見た、その死に顔は予想外に穏やかだった。

そして、あれから何年か過ぎた。

街は相変わらず封鎖されたままだったが、不法に流入してきた人間達によるあまり褒められたものじゃない商売でその姿を変えてしまった。

あの裏通りは無くなってしまったし、あの河原も今では再開発で姿を変えていて、元の姿は留めていない。

はといえば、無断欠勤と所持品の持ち出しの件は軽い処分で済み、警察解雇されることもなく警察官を続けていた。そして、今では「暴力警官」だとか「悪徳警官」だとか、それらを纏めて「大トカゲ」と陰口を叩かれるようになっていた。

明美は、あの後ですぐに入院中の父親が死に、名前を母方の姓に変えて店を手放した。

「もう、父が帰ってくる場所を守っている必要が無くなったから」と周りの住人達には言っていたらしいが、本当の理由は分からない。

その後、彼女は別の、さらに寂れた場所に店を構え、俺は何度かその店に顔を出したが、彼女は始終無愛想なままで、結局俺達が昔の関係に戻ることは無かった。

蛙面は(結局、俺は奴を殺さずに救急車を呼んだのだ)あの事件の1週間後に病室で散弾銃を咥えて自ら命を絶った。辛うじて原型を保っていたその顔は酷く失望した苦悶に満ちたものだったらしい。おそらくこの事件で唯一俺の溜飲が下がったのはこの点だけだ。と、言うのも、俺は結局この事件に関する全ての事実に対して沈黙することにしていたからだ。

連続殺人は止まり、犯人は未だ不明のままで、もちろん全ての原因になったあの理沙殺人事件については迷宮入りしたまま……しかし、街の繁栄に伴う治安の悪化と毎日のように起きる大事件は全てを過去と忘却へと流し去る。

俺が選んだのはそういう解決方法だった。

それで良かったかなんて分からない。だが、少なくとも俺にはその解決方法しか思いつかなかったし、全てはその様に推移していった。

時の過ぎ行くままに全ては変貌して行き、その流れの中で全ては消え去って何も残らない……それが真実なのかどうかは分からなかったが、少なくとも、俺はそう信じ込もうとしていた。

「あなたって、ずいぶんと懐かしい歌を口ずさむのね」

ある日、助手席に乗せた行きずりの女が言ったのはそんな台詞だった。

「……そうなのか?」

ハンドルを握りながら俺は聞いた。

その時まで、歌を口ずさむ癖があるという事自体を俺は意識していなかった。

「そうよ」と答えて女は、俺がよく口ずさむというその歌を歌ってみせた。

……あぁ、その歌は……

その歌を聴いて、俺はその歌が何であるのかを思い出していた。

それは、昔、理沙がよく口ずさんでいた歌で、少なくともその時は誰もが一度は口ずさんだ流行り歌だった。

「……確かに懐かしい歌だな」

「そうね、今では誰も歌わないわ」

確かにその通りだった。既に、流行歌ではなく、また所詮は名曲でもない数多ある曲の一つでしか過ぎなかったこの歌は、既に多くの人々の記憶からは消えていて、今更口ずさむ人間は少ないだろう。けれど俺にとってこの曲は、口ずさむたびに理沙が口癖のように言っていたあの言葉を思い出させてくれる。

『ねぇ、もしも願いが叶うんだったら……この壁も無くなって、みんな元に戻って、そしてまたいつも通り……あたしとお姉ちゃん、そして前浦君とで、また仲良く過ぎていく時間を過ごしたいね』

きっと俺はその言葉を、今でもポケットの中にあるすっかり鍍金の剥がれてしまったイヤリングと同じく捨てられないのだ……今でも惹かれているのだ……だからこの歌を無意識のうちに口ずさむのだろう。

「あなた、泣いているの?」

言われて、俺は自分の頬を伝う一筋の涙に気付いた。

「そんなわけがない」

俺は涙を拭い、誤魔化すように大声であの歌を歌ってみせた。

調子の外れた歌声は、街の喧騒に混じって何処かへと流れていったが、その行方は俺には勿論、誰にも分からないことだった。

(完)

2007-08-27【小説】フウイン/0 中篇 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

小説中篇です。

あぁ、これ、なんとかゆらぎに繋げられないかな。

でも、ゆらぎ世界は怪物いるのが当たり前だからなぁ……


・中篇

「ねぇ、もしも願いが叶うんだったら……」

あの時、きっと俺が思い出していた言葉はそれだったのだと思う。

いつの間にか降り出した雨の中、『壁』が出来る前は街と郊外を隔てていた大きな川の川原で、その時少年時代の俺は立ちすくんでいた。

目の前のその光景を信じたくなかったから……

「もしもなんて、ありえないんだ!」

駆け出した俺が思い出したのは、きっとその言葉だったと思う。

外の世界とこの街とが壁によって隔てられ、自分が暮らしていた日常が不安定なものに過ぎなかったことを思い知ってから、俺は全てに絶望していた。

だから、彼女のその台詞に冷たく、そして吐き捨てるようにそう言ってしまったのだと思う。

「俺もお前も、親父みたになっちゃうんだよ!。見ただろ、あの醜い化け物の姿!。もう人じゃないんだ!。俺達も人じゃなくなるんだよ!」

人達に取り押さえられて絶叫しながら俺が思い出していたのは、その言葉だった。

後悔しても後悔しきれない、その台詞……なのに……

「でも、願いは叶うよ……きっと……そして、みんな元に戻って、あの壁も無くなって……また……」

大人たちを振り切って再び駆け出した時に思い出したのはその言葉だった。

……楽天的なと心の中で思いながらも、どこかで惹かれてしまったその言葉

きっと俺もそう信じたかったのだと思う。そう口にしたかったのだと思う。

けれど、絶望的な状況と、一度ひねくれてしまった俺の心はそれを口にすることを許さなかったのだ。だから……

理沙ぁ!!」

俺は絶叫しながら、担架の上の毛布を剥がしていた。

彼女の夢は叶わなかった……それどころか最も悲惨な形で踏みにじられた。

虚ろに見開いた目と、乾いた涙、すっかり乱れた髪の毛……そして、首筋に付いた無残な紐の跡……そこにいる彼女は、もうここには居ない……世界中の全てを探したとしても、もう二度と……

俺がその後で彼女を抱きしめながら何を絶叫したのかは覚えていない。

ただ、無情に降り注ぐ雨だけが全てを……

何時の間にか疲れて落ちた夢の中から俺を引きずり出したのは、何時の間にか降り始めた雨がこの部屋の窓を叩く音だった。

……眠っていたのか……

俺は立ち上がろうとしたが、酷い吐き気頭痛、そして意識に霞がかかったような不快感に思わず膝をついた。夢の世界が悪夢ならば現実も負けず劣らずだった。

「……くそ」

俺は上着の腕を捲くり、薬物取締課からくすねてきた押収品の薬を、大凡清潔とは程遠い注射器で血管に差し込みながら呟いた。軍からの横流し品だという向心剤は頭痛吐き気を止めて俺の意識を覚醒させたが、覚めた意識で認識した世界は絶望感と嫌悪感をより深くしただけだった。

俺のいる場所、非合法児童ポルノの密売人を締め上げて無理矢理取り上げた「セーフハウス」は、元々お世辞にも綺麗とは言えない部屋だったが、俺がここに篭り始めてからその清潔度はさらに悪化していた。私見だが、まともな人間じゃなくても10ドル以上の家賃は支払いたいとは思わないだろう。

「何やってんだろうな……」

薬のせいか、突然覚めた気分になって俺は呟いた。

警察を無断欠勤してこの「セーフハウス」に篭ってから一週間、その間俺は警察武器保管課からくすねてきた狙撃用ライフルを抱きながら、薬の力に半ば頼って不眠不休で通りを見張っていた。

奴は必ず来る、と確信したからだが、考えてみればその考えには何の根拠もなかった。奴をおびき寄せる為の餌はあったが、その餌に奴が食いついて来る確証は何もない。

「……くそ」

もう一度吐き捨てるように呟き、俺は窓の外を見た。

薄暗くて薄汚いその路地は、壁が出来る前から、否、子供の頃から少しも変わっちゃいなかった。俺は、物心ついた時から自分が生まれ育ったこの路地が嫌いで、いつだって逃げ出そうとしていた。

……なのに、逃げ出せなかったのは何故だろう?……

ふと湧き上がった疑問に、答えは出ない。

俺は心を落ち着けようと、ポケットに手を突っ込んであのイヤリングを取り出した。既にくすんで元の輝きを無くしたイヤリング鍍金が、薄暗い部屋の中の僅かな光を反射して鈍く輝いていて、それはまるで「私はまだここにいます」と訴えているかのように見えた。それを欺瞞というのだろうが、俺にはその欺瞞を否定することは出来なかった。

ふいに窓の外で通りに面した扉のうちの一つが開いたのに気付き、俺は慌てて屈み込んで姿を隠した。本当はこの部屋は通りからは見えない場所にあったが、俺の中の後ろめたさがそうさせたのだ。

奴をおびき寄せる為の餌……それは、俺の幼馴染の女性、あの酒場の女主人の存在を、懇意にしている情報屋を使ってわざと広めることだった。一警官関係者に纏わる噂など、こんな場所では水面に現れては消えるだけの泡沫程の価値すらない情報にしか過ぎないはずだが、奴がもし本当に俺を狙っているのならば決して見逃さない情報のはずで、俺は彼女の酒場から近いこの場所で奴が現れるのを待ち構えていた。

開いた酒場の勝手口から姿を現したのは女主人と蛙面の男だった。

肩から背中にかけて肌が露出した黒いワンピースという彼女のいでたちは、決して似合っていないわけではなかったが、普段の彼女だったら決して好んで身に着けるような衣装ではない。蛙面はそんな彼女の反応を楽しむように、彼女の腰に手をまわしながらにやけた顔で何かを彼女の耳元に囁きかける。

彼女は何も言わずに、唇を噛むようにしてただ俯いていた。

俺はこの場を飛び出して蛙面を殴り倒してやりたい衝動に駆られた。だが、それをする権利は既に俺には無かった。

蛙面と彼女が今の関係になったことを、俺は3年前から知っていた。

街が「フウイン」化したことによって経営不振になった店の借金……心労になって倒れた父親の入院費用……母親自殺と妹の無残な死……全てを投げ出して逃げることができたのに、彼女が選んだのはいつ崩れるかも分からない現状を守ることで、そのための手段は資産家で彼女借金の貸主である蛙面の慰み者になることだった。

俺は、そんな彼女の行為を無理にでも止めるべきだったのかもしれない。なのに、「あなたには……関係のないことだから……」と言われて何もなすすべが無く引き下がってしまった。俺にはどうしようも無かったから……と、言えば聞こえが良いが、本当は予想外の困難から逃げただけにしか過ぎなかった。あの時の彼女の声は明らかに掠れて、喉の奥から搾り出した声だったのに……

それから俺と彼女の間は疎遠になっていき、そしてその仲を修復できないまま月日だけが過ぎていっていた。


いつの間にか、また眠りに落ちていたことに気付き、俺は慌てて窓の外を見た。既に日は暮れかけていて、女主人が店を始めるために店内から看板を外に出しているところだった。こんな人通りも殆ど無い裏路地の酒場に客が来るのかどうかは怪しかったが、彼女にとってはこれが守りたい日常なのだろう。

……俺に復讐をする権利はあるのか?

ふと頭の中で疑問が湧き上がった。

自分の中の復讐心を満足させるため、俺は自分が警察官だというのに警察には奴が本当に狙っているが俺だと言う事を伏せていた。そして、民間人を囮に逮捕ではなく殺害のために武器を手にして非合法な張り込みをしている……既に市民の安全を守る警察官としては失格……いや、警察官どころか人間としても失格だった。

来るのかどうかも分からない客のために店の入り口掃除する彼女の姿に、俺は昔の彼女の姿を重ねた。あの理沙の死の後、俺が立ち直るまで支えてくれたのは彼女だった。本当は支えて欲しいのは彼女のはずだったのに、俺は何も彼女にしてやったことが無かった。

「間違えているよな、こんなこと」

ポケットの中でイヤリングを握り締めながら、俺は呟いた。気付くには遅すぎたのかもしれないが、完全な手遅れにならない方法はあるはずだった。

俺は、ポケットから携帯電話を取り出し、電話帳から先輩刑事電話番号を探した。警察に動いてもらって彼女保護してもらう……俺の責任は問われるかもしれないが、少なくとも彼女の安全は確保されるはずだった。

「これで……これで良いんだ」

俺は座り込んで、電話が先輩刑事携帯電話に繋がるのを待った。

それは短い時間のはずなのに、非常に長い時間に感じられた。

しかし、呼び出し音が止まったその瞬間、突然窓の外から聞こえてきた悲鳴に、俺は慌てて立ち上がった。その悲鳴は、彼女のものだったのだ。

窓の外を見ると、女主人が右手を押さえて倒れていた。よく見ると、押さえた右手は紅く染まっている。通りには彼女の他に誰もいなかったが、彼女は自分に忍び寄ろうとする何かに怯えていた。

……間違いない、奴だ!

俺は慌てて携帯電話を切って銃を構え、傍らの鞄の中身を取り出した。

赤外線スコープ……一月前に武器密輸業者から没収したそれが、俺が奴を倒すための切り札だった。いくら奴が目に見えないからといって、これならば姿を捉えることができるはずだった。

俺は、急いで赤外線スコープをはめると、窓の外を見回した。そこには奴の輪郭がはっきりと映し出されていた。爬虫類人間を合わせたような中肉中背の奴の輪郭……

……これで……これで全てが終わる……

俺の顔はきっと歓喜で歪んでいたに違いない。

後先なんて考えてはいなかった。ただ、理沙の仇が討てるというそのことだけで、俺の指は喜びに震えていた。

だが、俺が銃のトリガーを引こうとしたまさにその瞬間、突然地面に倒れていた女主人の体が奴の方に引きずられるようにして引き寄せられた。

……何が!?……

驚愕する俺の目の前で、奴は彼女の首を掴み、まるで盾にするように持ち上げた。

「しまった!」

俺は後悔した。この銃の威力ならば、仮に奴が背中を向けた瞬間に撃ったとしても、銃弾は奴の体を貫通して彼女も傷つけてしまうだろう。確実に奴を殺害するつもりで準備した武器が完全に裏目にでてしまったのだ。

……あいつは今、俺の目の前にいる……今やらなかったら……きっと……

俺は震える手で再び標準を合わせた。俺のいる場所が分かっているのか、彼女の体はこの場所からは完全に盾になっていた。

……もし撃てば、俺は一生後悔する……理沙を失ったときと同様に……だが……

もし俺が冷静だったら、きっと隙はあったに違いないが、葛藤は俺の中から冷静さを完全に奪っていた。

……理沙……俺は……俺はどうしたら良いんだ……

突然、窓ガラスが割れ、俺の肩に何かが突き刺さった。俺は激痛のあまりに絶叫して仰向けに倒れていた。俺の肩に刺さっていたのは、奴の凶器だろう古びたナイフだった。

完全に相手を舐めていた。場所さえ分かれば、奴にとってこの程度は児戯に等しいことだったのだ。

俺は慌てて立ち上がろうとしたが、出血が酷すぎたせいか、それとも今更薬の副作用が来たためかすぐに肩膝を突いてその場に座り込んだ。

……とにかく、この場を離れなくては……

冷や汗を流しながら、俺は這うようにしてその場を離れようとしたが、背後で何者かが窓を蹴り破って室内に入ってきた。

「まさか、これで終わりじゃないだろう?」

俺は慌てて、服の内ポケットから銃を抜いて声のした方に引き金を引いた。だが、霞んだ目での当てずっぽうな射撃など、壁に無駄な穴を開けて土煙を上げただけにしか過ぎなかった。

「罠だと分かって来てやったのに、失望したよ、お前には……」

俺は這うようにして逃げようとしたが、その背中を踏みつけられ思わず息を詰まらせた。そして、何かぬるぬるとした不快な感触のものが俺の首を這い回り、突然それが喉を締め上げてきた。

俺はそれを引き剥がそうとした。だが、無理やり俺の体はそいつに持ち上げられ、そして気付いた時には俺の体は窓の外に放り投げられて宙を舞っていた。

一瞬の間をおいて、衝撃と激痛が体中を走り、俺は吐血する。

体中のあちこちの骨が骨折したためか、体を起こそうとしても、もう既に指一本動かすことが出来ない。

「……畜生

涙が頬を伝った。復讐を果たせなかったばかりか、俺は奴に完全に弄ばれただけだったのだ。

……俺、ここで死ぬのか……惨めに……

奴の手が俺の頭を掴んで持ち上げ、俺は折れた歯で唇を噛んだ。

負け犬の目だ……俺はあの時、お前があの少女の亡骸を抱きしめながら見せたあの目を待っていたのにな……」

言われて俺は、奴があの時、あの場所にいて全てを見ていた事に気付いた。

俺の中で何かが弾け、込上げた殺意が全てを塗りつぶしていく。

「そうだ、その目だ」

俺の喉に奴の手がかかり、その力は次第に強くなっていく。

……力が欲しい……破壊の力が……そして力の行使を躊躇しない獣の意思が……

叶わない願いだと分かっていた。だが、最期の力を振り絞り、俺は右手を伸ばして、せめて奴の首を掴もうと……


最初、自分でも何が起きたのか分からなかった。

自分の中で何かが弾けた感覚と、自分を突き破って何かが姿を現したような衝撃……気が付くと俺の頭を掴んでいた奴の手は無く、逆に動かなくなったはずの俺の手が何かを掴んでいた。ゆっくりと目を開いてみると、俺の腕は自分のものではない何かに姿を変えていた。

破れた袖から突き出した、緑色の鱗に覆われた肌……筋肉質の腕……鉄さえ引き裂くことが出来そうな爪……俺が望んでいた力そのもの……

今や形勢は逆転していた。俺の目は道具の力に頼ることなく奴の輪郭をとらえ、俺の手は奴の喉を掴み、指先の爪は奴の喉に肌を引き裂きながらゆっくりと肉に食い込み始めている。

……あぁ、そうか、変わっちまったんだな、今……

この街にいる限り、いつかは来る異形化現象。それが、俺に今来たのだ。

かつては、俺はその時が来て自分が自分以外の何かに変貌することを恐れていた。変化するのは精神ではなく肉体だということは知っていたが、肉体の変化が自分を自分で無くしてしまうのではないかと恐怖していたのだ。

けれど、今は自分が自分で無くなったことに……獣に変貌したことを俺は歓喜していた。

俺は本能の赴くままに咆哮し、奴の肩に噛み付いた。

力の行使に、もはや迷いや躊躇など無かった。

悲鳴が裏通りを木霊し、赤い血があたりに飛び散る。

俺は奴の肩を食いちぎりながら。奴の体を地面に叩きつけた。

「立てよ」俺は地面に倒れて呻く奴に言う。「楽に死ぬんじゃねぇよ。死ぬんだったら血反吐にまみれて悲惨で絶望的に死ねよ。命乞いでもしながらな!」

俺は奴を何度も立たせては殴り、蹴り、そして引き裂き、噛み砕いた。

もはや俺は完全に俺では無くなっていた。自分の中の殺意暴力の本能と要求にのみ従う獣だった。暴力を振るい奴を壊すたびに、歓喜と快楽が、まるで電流のように体中を駆け抜け、その都度俺は悦びに震えた。

それは一種のドラッグセックスだった。

やがて、奴の体が痙攣を始めた時、俺は何時の間にか自分があの場所にいることに気付いた。理沙の亡骸を抱きしめたあの場所……おあつらえ向きにも、あの時と同じように雨が降り始めている。

「分かるだろう、4年前、お前が一人の少女を強姦して殺した場所だ!」俺は奴の頭を掴んで、立たせながら言った。「理沙は懇願したんだろうな。命乞いをしたんだろうな。だが、お前はそれでも理沙を殺した。自分の欲望に赴くまま辱めた挙句な。今度はお前が命乞いしながら死ね!」

突然奴が笑い出した。それは自暴自棄になった者の笑いではなく、望みを叶えた者の満足した笑いだった。呆気に取られた俺に奴は言う。

「これで俺の願いが叶う……俺は、待っていた……お前が絶望的な死を与えてくれることを……あの時から……お前のあの目を見たときから」

ゆっくりと奴の輪郭がはっきりとした形を持ち始め、姿を現したのはあの蛙面だった。異形化現象は人の姿を変え、その姿に相応しい能力を与える。奴が異形化現象によって手に入れたのは、蛙の能力……周囲に肌の色を同化させる能力と動体視力、そして長く伸びる舌だったのだ。

「お前が……」

「俺はお前が俺に気付いて殺しに来ることを待っていた。俺から金を借りたまま自殺した女の娘が、あの時の少女の姉だった時には、しめたと思ったよ。あの娘に手を出せばお前は殺しに来てくれると思ったからな……」

「あなたには関係の無いことだから」と俯いた顔で言った彼女言葉が俺の頭を過ぎった。こいつは、そのためだけに俺だけでなく、俺の周りの人間の心も弄び、そして傷つけてきたのだ。

再び俺の中で黒い殺意が湧き上がり、全てを覆っていこうとしていた。

「姉妹だったよ。明美もあの理沙とかいう娘も、俺に犯されている間、ずっとお前の名前を呟いていた。明美の口からお前の名前が出る度、まるでお前の殺意に満ちた目がすぐ目の前にあるみたいで、俺は興奮させられたぞ」

「黙れ!」

俺は右手の爪を立て、奴に突きつけた。

俺を操っているのは、今や理性や自我ではなく、殺意と憎しみだけだった。

「そうだ、それで良い!。俺を憎め、もっと憎め!。この街が『フウイン』になった時から……いや、その前から俺はこの日を待っていた!。この日が来るために7人殺した。今、それが報われる……」

そう言って奴は呟くように女達の名前を口にした。その名前は、俺が調書で読んだ被害者達の名前だった。全てが計画的な犯行だったのか、それとも奴が殺した後で被害者達の事を調べ上げたのかは知らない。だが、確かなことは、これ以上、奴が喋るのを聞き続けるのは気がおかしくなりそうだったという事だった。

自分の正気を保つために奴を今すぐここで殺すことは簡単に出来た。だが、俺は待った。俺は待たなければならなかった……奴が理沙の名前を口にするその時を……最大限に込上げた怒りに支配され、深遠なる闇に堕ちてこそ俺の復讐は遂げられなければならないのだ。

そして、奴は自分が手に掛けた女達の名前を言い終え……その中に理沙の名前はなかった。

「……理沙は……理沙はどうしたんだ!?」

今にして思えば、俺はあの時、そんなことを聞くべきではなかったのだ。

そうすれば、俺は一生事実を知ることはなく、復讐を遂げたという偽りの満足感に浸りながら日々を暮らすことができたはずだった。

「あの理沙とかいう娘を殺したのは俺じゃない」沈黙がしばらく続いた後、静かな口調で奴は言った。「確かに俺は、あの日この場所を通りかかったあの娘を犯してやった。だが、その時、まだ俺は殺人鬼じゃなかった。ただ絶望的な死という名の快楽を求めて日々を空虚に生きるだけの、ケチ犯罪者だった。お前のその目にまだ会っていなかったからな。そして、あの娘を犯した後、俺はその場に隠れて残っていて、あの娘が死に至るまでの一部始終を見た」

「……」

「全てが終わった後、なぜか願いが叶う予感がして俺は凶器と証拠を始末してやった……その犯人の為にな。昔から裏家業に手を染めていた俺には、警察が何をもって証拠とするかが分かっていたから、それは容易なことだった」

冷や汗が額を伝って落ち、俺はその場に座り込みたい衝動に駆られた。

……こいつが犯人じゃないなら……誰が……

知りたいと思う反面、俺の脳の末端神経が、これ以上事実を知ることに対してせわしなく危険のシグナルを送り続けていた。

事実を知ることは、決して人を幸せにするとは限らない……だが……

「誰なんだ……その犯人は誰なんだ!?」俺は聞いてしまった。「言え!。誰が本当の犯人だというんだ!」

「……後悔するぞ」

奴が震える声でその名前を口にした時、背後で大きな雷が鳴り、突然雨は激しさを増した。

それは、理沙の骸を抱きしめたあの時と同じ冷たい雨だった。

そして、その雨は、あの時と同じく俺から何も流し去ってはくれない非情な雨だった。

(to be continued)

2007-08-26【小説】フウイン/0 前編 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

どうも、ながらく放置しておりましたが、少しづつ昔書いた小説とかをアップしていこうと思います。

今回の作品は「フウイン」という途中まで書きかけていた小説の外伝に当たる小説で、悪役である「大トカゲ」という男を主人公にした話です。

何分、昔書いた話なのでかなり拙いですがご容赦ください。

これもいつかはゆらぎに混ぜてみたいと考えているのですが……



フウイン/0(ZERO)

世は無常とは誰が言った言葉か知らないがそれは紛れも無い、誰もが知る真実だ。

口ずさんでいた流行歌がいつの間にか『懐かしの曲』あるいはオールディズになり、やがては人の記憶から消し去れるように……全ては古び、朽ち果てる運命にある。そして、その運命からは何も逃れることはできない。

だからこそ人は、変わらぬ何かを常に探し求めるのだろうか……


  • 前編-

馴染みの酒場の扉を開けた時、既に時刻は9時を過ぎていた。

約束の時刻は30分以上前に過ぎていたが、待ち人の性格から考えれば随分と早い到着のはずだった。

「よぉ、俺の客はもう着いてるか?」

俺は酒場の女主人に声を掛ける。こんな場末の酒場のママをやるには少々若く、尚且つこんな場所に居るのは勿体無いぐらいのいい女だ。

彼女は俺の顔を見ると、「いいや」といつものように愛想のない声で答えた。

「そうか、じゃあ来るまで待たせてもらうぜ」

「……あんまり警官の待ち合わせ場所にされたくないんだけどね」

まともな客が寄り付かなくなるから……と彼女は言ったが、俺の知っている限りろくな客がこの店に寄り付いたことなんて一度も無い。

「冷たいな、俺とお前の仲だろう?」

「昔のことは忘れたね」

煙草の煙を吐き出しながら答える彼女に、俺は何が彼女をこうまでも変えてしまったのだろうかと一瞬考えた。

……時代か?……環境の変化か?……それとも貧困か……いや、それとも……

実は変わってしまったのは俺の方なのかもしれない、と俺の頭をそんな考えが過ぎった。少なくとも警官になった自分の未来の姿なんて、彼女が俺の知ってる彼女だった頃の俺の頭には微塵もない未来予想図に違いない。

音楽かけてくれよ」

「あんたの聞きたい曲は生憎と無いね」

流行りの曲ならあるんだろう?。適当に一曲かけてくれよ」

だが、彼女がかけてくれた音楽は「時の過ぎ行くままに」という、古い映画の曲だった。「どういうつもりだか……」と肩を竦めながらぼやいてみせた俺だったが、本当は彼女の気持ちが心のどこかで少しは分かっていたのかもしれない。

「なんだ、もう居たのか」

背後からのしわがれた声に振り向いてみると、いつの間にか待ち人はそこにいた。

「……『先生』30分の遅刻だぜ」

「ほぅ、つまり、30分早くついたということだね」

猫のような顔に満面の笑みを浮かべて、小柄な老人は少しも悪びれることなく言った。

言いたい事が無かったわけではなかったが、『先生』と時間のことについて言い合ったところでまず勝てないだろうし、百歩譲って勝ったところでそれがこの人の今後の行動に反映されることはまずないので、俺はもうこの話は止め

ることにして、椅子を引いて自分の横の席を勧めた。『先生』は覚束無い足取りで椅子に腰掛ける。

「『先生』、また猫に似てきたな」

「あぁ、今朝鏡を見てまた驚いたよ……子供の頃に飼っていた猫にそっくりだったのでね」髭を撫でながら『先生』は言った。「君は何に似てきたね?」

「いや、今のところは何にも……」

「何かに変わるのが運命ならば、せめて自分のなりたい物になれると良いね」

そう言って、『先生』は猫のように目を細めてゴロゴロと喉を鳴らした。その姿はまるで猫のようだった……いや、「猫のようだった」というのは正確な表現ではないだろう。なぜなら『先生』の顔は「そっくり」ではなく、白髪の猫そのものだったからだ。

しかも、それは被り物や作り物ではなく紛れも無い本物だった。

獣人、あるいは猫又……彼を形容するのならば、そのような姿だ。

だが、いつからか『フウイン』と呼ばれるようになったこの街では『先生』のような人間は決して珍しくは無い。いや、『先生』のような人間普通なのだ。そう、何もかもが狂い始めたあの日から……


あの日、『フウイン』と呼ばれる前のこの街でそれは突然と起きた。

『異形化現象』……人が異形の怪物へと変化する病気……

その病気の最初の感染者が現れてから、人から人へと次々に感染していき、ついには街中に蔓延して人々が次々に異形の姿に変化していくのに、覚えている限りあまり時間はかからなかった。そして政府が救援策を止めて封鎖政策に移るのも……。

そして今、感染区域の拡大阻止を名目に作られた高い壁に囲まれて、この街には異形の姿に変わった人間達と異形の姿に変わるのを待つ人間達、そしてどこから入ってくるのか壁の外の世界で生きられなくなった人間達がいる。

高い壁と、そして何時かは異形に変化するという運命と、異形に変化してもその精神までは異形に変化しないという非情現実……全てに閉じ込められた歪んだ世界……悪の楽園……それがこの街で、俺が生きている世界だった


「ほう、これは……いやはや、これはこれは」

俺が渡した何枚かの写真と書類を見て、『先生』は嬉しそうに喉を鳴らしながら言う。あまりにその様子が嬉しそうだったからだろう、女主人がその写真を覗き込んだが、すぐに顔を背けながら「まともなもんじゃない!」と吐き捨てるように言った。

それはそうだろう。俺が渡した写真に写っているのは死体……それも世間一般に「惨殺体」と呼ばれる物だからだ。警官になったばかりの時、俺はこんな写真や実物を見て、何度胃の中のものを戻したか分からない。

「これがお前さんの追っている事件の被害者写真というわけだ」

「あぁ、そうなんだ。昨日で5人目だ。現場凶器はもちろん、指紋や遺留品も無し、目撃者も無し。遺恨の線も辿ってみたが被害者達の間には特に関係らしい関係も無し……正直言って捜査本部もお手上げ状態だ」

そこで、『フウイン』に来る前には犯罪心理学者だった『先生』に意見を聞こうとして現場の調書と写真を見せているというわけだった。

「この犯人は次第に焦ってきているようだな」

「あぁ、その事だったらうちの鑑識も言ってた」

それは4人目までの被害者が、非常に少ない手数で尚且つ効果的に殺害されていたのにも関わらず、5人目の被害者が酷く乱暴な方法で殺害されていたからだった。そして、凶器も今までの殺害方法が刃物のような凶器を使ってのみ行われていたのに対し、5人目はそれらの行為に加えて首を絞められて殺されていた。傷痕から推測できる凶器が同じでなければ、別人の犯行とか模倣犯の仕業という結論になっていたかもしれない。

「まぁ、この街にはなかなか死なない人間もたまにはいるという……」

「いや、この犯人が焦り始めているのは3人目からだよ」

俺はギョッとして先生の顔を見た。先生は、嬉しそうに「3人目の時点でこの犯人は犯行動機が嘲笑から焦燥へと変わり始めているよ」と答える。

「最初は、自分はここに居るという『自己顕示欲』……次に自分を捕まえることが出来るかいという『嘲笑』……そして、これは犯人を捕まえて理由を聞いてみない限り分からんが、3人目の時には『焦燥』が始まっている。そして5人目は……『懇願』だね」

「『懇願』……?」それは思いもよらない言葉だった。「一体、何を犯人は『懇願』しているんだい」

「誰に対するメッセージかは知らないが……」『先生』は目を細めながら言う。

「これが警察に対するメッセージだとすると、お願いだから自分を捕まえてくれということかもしれないね。犯人には何らかの理由で時間が少なくなっているのかもしれない」


翌日、職場に交代の時間10分前に出勤した俺を待っていたのは「遅い!、刑事は30分前出勤だ!」という先輩刑事の頭の固い言葉と、6人目の被害者発見されたという連絡だった。5人目と同じく目を背けたくなるような酷い殺され方だった。

「……殺す、バラす、犯す……変態的欲望のオンパレードだな、こりゃ」

書類を持ってきた鑑識の中年男が無表情に言った。俺も同感だった。犯人は鑑識が言った通りの手順を実行していたのだ。

「だがね、今回は奴を追い詰められるかもしれんよ。何せ奴さん今回は遺留品を残していっているんでね」そう言って、鑑識は俺に、ビニールの袋に包まれたその遺留品を見せてくれた。「装飾品の一部らしいんだけどね……まぁ、真珠に似せた安物のガラス玉さ」

その後の鑑識の言葉を、俺は聞いていなかった。いや、正確に言えば聞こえなかったのだ。なぜなら、その『安物のガラス玉』には見覚えがあったのだ。


「……これだよ。あの時から中身は触っちゃいない」

俺が頼むと、女主人はいつもの口調で俺の前にそのイヤリングケースを出してくれた。断られるのではないかと思っていた俺は、そのあっさりとした態度に一瞬呆気に取られながら、「そうか……」と言ってそのイヤリングケースを受け取った。

小さな、飾り気の無いイヤリングケース。

それは俺が、昔、ある女性に送ったものだった。

「なんなら、そのままあんたが持ってっても良いよ。それは、あんたと理沙の間の思い出なんだからね、本来は」

俺は無言のままイヤリングケースを開いた。銀鍍金ガラス球で装飾されたイヤリングは今もそこにあった……けれど、今は片方しかない。失われた片方の代わりにそこにあったのは、今や取り戻すことの出来ない『想い出』という名の記憶と『過去』という名の残骸……そして取り返しの付かない未来に対する『後悔』と『懺悔』……

「なぁ、明美……」

「用事が済んだら帰ってくれないかい。これから客が来るんだ」

「客?、もしかしてあの蛙面か!?」

俺は言ったが、「あんたには関係のない話だね」と彼女は俺の方を向かずに冷たい口調で答えた。

「……そう、だよな」

本当は、もっと言うべき言葉があったのかもしれない。なのに、今の俺にはそれ以外の言葉が口から出てこなかった。

「済まなかったな」

俺は彼女に背を向け、酒場を後にした。せめて振り返るべきではないのか、と心のどこかでもう一人の俺が囁きかけてきたが、結局俺には振り返って彼女の顔を見ることはできなかった。

酒場を出た路地裏の闇の中で、もう一度俺はケースの蓋を開いた。片方だけになってしまったイヤリングが思い出させた記憶に、俺は忘れていた心の古痕が疼くのを感じて溜息混じりに呟く。

「あの時……俺が……」

どうすれば良かったというのだろうか?……それは、あの時からずっと考え続けてきたことだった。その答えが分からないから、『フウイン』内での治安悪化を理由に、警察機構の大増員と条件緩和が行われた際に警官になったのかもしれなかった。

「いや、本当は……俺は……」

突然裏路地に響き渡った女の悲鳴が、俺を記憶の世界から現実へと引き戻した。振り向くと、血まみれになったコートの女が今にも倒れそうな足取りで俺の方に近づいてきて、突然崩れるようにして倒れ込んだ。

「おい、大丈夫か?」

一瞬呆然とした俺だったが、自分の職務を思い出して女に声を掛けながら、彼女の方へ歩み寄った。彼女は一瞬顔を上げて何かを言おうとしたが、次の瞬間、その喉から噴水のように血飛沫が噴きあがった。俺は驚愕のあまりに無様に尻餅をついた。それは明らかに誰かに切り刻まれて吹き上がった血飛沫だったのだ。

「……何が……」

俺は呆然としながら呟いたが、ふと背中越しに気配を感じ、混乱しながらも慌ててポケットから拳銃を抜いて銃口を向けた。だが、銃を握ったその腕が突然誰かにねじ上げられ、目と鼻の先の闇から二つの眼が現れて俺の顔を覗き込んできたのはほぼ同時だった。

俺はその理解の範疇を超えた怪異への恐怖のあまり、思わず悲鳴をあげようとしたが、悲鳴はおろかどんな言葉も俺の口からは出てこない。

そして、二つの眼はそんな俺の顔を無表情に見つめ続けている。

「……お前が来ないから、気付いてくれないから、来たぞ」

闇の中で、二つの眼は形を歪める。

……笑っている

それが嘲笑なのか、歓喜なのか、それともそれ以外の感情によるものなのかは分からなかったが、その歪んだ瞳が示す表情が笑っているということだけは俺にもはっきりと分かった。

「まだ変わっていないのか?……それとも、変わってしまったのか?」

その言葉意味恐慌状態にあった俺には分からなかった。だが、闇の中の中から、「覚えているか、これを?」と、突然目の前に突きつけられたものが何かは俺にも分かった。

裏通りに差し込む僅かな光を反射して左右にふらふらと揺れながら、闇の中で銀の光を振りまいているイヤリング……

「忘れたとは言わないだろう?」

驚愕のあまり、怒りのあまり、悲しみのあまり……定まらない感情のあまりに言葉にならない声が俺の口から漏れ路地中を木霊した。

そのイヤリングは俺がポケットに入れているイヤリングケースの中身と同じ物だったのだ。

「お前が……あの時……理沙を……」

俺は自分の腕が痛むのも構わず、強引に捻り上げられた右手を振り解いた。

殺してやる!

黒い殺意が俺の中のその他の全ての感情を塗りつぶしていた。だが、闇の中の眼はいつの間にか何処かの闇へと消えて、通りに残されたのは俺と、既に事切れた女の屍だけだった。

人通りの少ない裏通りの闇は再び沈黙に支配される。

静かな生者の空虚な世界に一人取り残された俺は、殺意から解き放たれ、どこにぶつけて良いか分からない怒りと悲しみと、その他諸々の感情を全て吐き出すかのように闇に向かって咆哮した。

警官になった時から「冷静かつ理性的に行動すること」を教えられ、行動理念にしていて、そうすることに何の疑問を感じずにいた俺だったが、その時は獣に……絶大な力を持ち、恐怖に屈することなく、破壊殺意で全てを塗りつぶし、そして力の行使に躊躇しない獣になりたかった。

けれど、そんな俺の咆哮は、ただ空しく闇へと霧散し、そしていつの間にか消えていた。

それが現実だった……。

その日殺された7人目の被害者……俺は生前の彼女をよく知らない。フウインの裏通りを徘徊する売女の一人……せいぜい知っているのは、俺の前に置かれたその書類に書かれているその事実ぐらいだ。

書類にはその他にも色々と情報が書かれていたが、どうせ嘘だ。

この街に外から入ってくる連中の記録なんて、「洗濯」という方法によって書き換えられた贋物にしかすぎないのだから……

けれど、確かなことは、彼女が何者であろうと、彼女がそこにいたお陰で一つのことが判明し、俺に忘れかけていた決意を思い出させてくれたということだった。


「……間違いではないのかね?」

俺の言葉に、先生読みかけの調書から顔を上げて、ただでさえ細い眼を余計細めながら言った。

「間違いはないよ」濁ったウィスキーの入ったグラスを傾けながら、俺は静かな口調で言った。「あいつがメッセージを送りたかったのは、警察じゃない……俺なんだよ」

「しかし……なぜ……」

さらに眼を細める『先生』に、俺は言った。

「4年前、この街で一人の少女が強姦された挙句に首を絞められて殺されるという事件があった。被害者の名前は村井理沙……」

「別にこの街じゃ珍しくない事件だ……壁が出来て間もなかったとは言え、当時だってそうだったんじゃないのかね?」

先生』の言う通りだ。この街に限らず、それは殆どの国の殆どの都市でありふれた事件の一つなのだろう。事実、このニュースは「フウイン」の地方新聞では二面の小さな記事で扱われただけで、地方局のニュース番組に至っては、1分に満たないニュースで扱われただけだった。だが……

先生、これを見てくれないか……」そう言って、俺はポケットから例のイヤリングケースと、そして一枚の写真を出して『先生』の前に出した。「この耳飾は被害者が殺害時に身に着けていたもの、そして写真の3人のうちの左がその彼女理沙だ」

写真の中では、一人の少年を挟んで、同年代の二人の少女が立っていた。一人は髪の毛をショートカットにした少女で、不機嫌そうな表情で迷惑そうにそっぽを向き、もう一人の髪の長い少女は満面の笑みを浮かべながら少年の腕に抱きついて、写真の先の不確定な未来ピースサインを送っていた。

「……なるほど、そういうことか」『先生』はそれだけで全てを悟ったようだった。「真ん中の少年は君だ。そして、君はこの少女の死を見てしまった。その時、犯人現場にいて君を見ていた。君は、彼女の死に随分と取り乱したのではないかね?」

「……」

「このイヤリングは君が送ったものか……と、すると君は彼女と……」

「余計な詮索はされたくない」

俺は、自分でもびっくりするほどの静かな、そして低い声で『先生』の言葉を遮っていた。

「そりゃ済まなかったね」

先生は肩を竦め、そして「詮索ついでなんだがね」といつもの様に眼を細めて見せた。

「この少女……もう一人のすまし顔の少女の顔は、最近どこかで見たことがある気がするんだけどね?」

「いつもの酒場の女主人だ」俺は答えた。「『先生』……全てはあんたの考えている通りさ。だから今日は場所を変えた」

その日、『先生』を呼び出したのは警察の近くにある繁華街の、あの酒場とは対照的に客がわりと入っていて、半分異形化した店員が忙しそうに店内を駆け回っているパブだった。

「『先生』、俺は誓ったんだ……あの日、たった一つのことをね。なのに俺はその事を忘れていたんだ……この事件があって、あいつがこれを俺の目の前に置いていくまで」

そう言って、俺はハンカチに包んだもう片方のイヤリングを出した。

「俺は……絶対に、彼女を……理沙を殺した犯人をこの手で……」

「例えどんな手を使っても殺す……かね」俺の言葉を先取りして言いながら、『先生』は普段は細めている眼を大きく見開いた。「今日の私の役目は懺悔室の神父というわけだ」

確かに『先生』の言う通りだった。俺は自分がこれからしようとしている事を誰かに聞いて貰い、そして容認もしくは看過して貰いたかったに違いない。

無論、『先生』にそれを許す権力や立場があるわけではなかったが、そうしたのは、多分、俺に警察官としての最後の良心があったからだろう。

「……君が何をしようとしているかについて、私は聞かないよ」

先生』はいつものように眼を細めながら言った。それは考える間でもなく当たり前な態度だったが、俺は一瞬呆気にとられた。

「けれどね、一つだけ忠告しておこう。君が何になろうとしているのか、何になるのかは知らない。けれど、せめて私と同じ人間にはならないことだ……」

俺には『先生』の言葉が分からなかった。だから、結局曖昧な返事しか返すことが出来なかった。

けれど、今にして思えば、『先生』にはこの後の展開が少しは読めていたのかもしれない。そう、あの救いようのない結末が……

to be continued)

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