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烏兎紀 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-08-08

ザリス(4)

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 日は既に落ちている。兎は、仰向けに倒れている。毛皮からは、まだ黒い煙がくすぶっている。全身が炎に包まれ抵抗できなくなったところを、ザリス自身が視線の気合いで消火したのだ。最早生きているのがやっとの状態で、兎はまだ身を起こそうとする。

「もおええて……やめや」

 拳を介した手続きを通じて、ザリスは兎の技と気合いの全てを見極めた。加えて、ザリスには自前の術士としての技能がある。二者の戦いは、ある時を境に一方的なものとなっていた。

 兎はもう、ザリスに触れることができない。兎がいかに惑乱しようとも、霊的な知覚と身体感覚を備えたザリスに拳は届かない。身体の運用と術式の連携によって繰り出されるザリスの攻撃も、兎にはもう対応できない。両者の力量差は、この時既に逆転していた。しかし兎は、まだこの戦いを続けようとしていた。

 兎の蹴りには勢いもない。ただ横に身を躱して避けるだけで、姿勢を崩した兎は地面を転がる。兎はもう、何度もこうして無効な打撃を試みていた。

「十分ちゃうんかいな……」

 ザリスには戦慄がある。これ以上何を伝えるために、兎は立ち上がるのか。既に、兎は生と死の境界にいる。何か一押しがあれば、兎は容易にあちら側へと倒れ込んでいくだろう。

 もはや跳び蹴りを放つ力もないのだろう。兎は、立てるのが不思議という有り様でザリスに歩み寄る。腕を伸ばせば届くほど、ほとんど密着といえる距離まで兎はザリスに接近した。

 兎が、拳を構える。その拳に気合いが込められていく。その濃度が、今までと格段に違う。ザリスは感じる。全身全霊が凝縮された、生命そのものの兎の拳。あそこに込められているのは、魂だ。あれは、魂の拳だ。

「あんた……死ぬで……」

 あの一撃を放てば、兎は死ぬ。ザリスにはそれが分かる。では、兎は死ぬ気なのか。兎は死ぬ気なのだ。兎が伝えようとしてるのは自身の命であり、魂だった。兎の、拳が動く。拳は、ザリスの腹を目がけている。あれを止めたとき、兎は死ぬ。では、避ければいいのか。同じことだ。魂を込めた拳を空振りにして、兎は死ぬ。兎は死ぬのだ。

「あっほが……!」

 だから、ザリスは避けない。ザリスは、兎の拳を受け止める。拳はザリスの腹を打つ。それはもう、赤子を泣かせることもできない弱々しい一撃だった。だからこの最後の一撃で、ザリスの肉体はびくともしない。そして、この最後の一撃で、ザリスの精神は吹き飛ぶほどに激しく揺れた。

 兎の魂を構成していた精神構造そのものが、ザリスの意識に流入した。手続きを経たザリスは、今やこの構造を完全に理解できる。そこに、兎の全てがあった。技があり、記憶があった。過去の痕跡があり、平行世界の写像があった。そして今、目の前で兎の肉体が崩れ落ちていく。

 ザリスは、兎を抱き留める。兎は既に死んでいる。ザリスは動かない。ザリスは、兎を抱き続ける。


 ザリスは森に兎を埋めた。適当な岩を見つけ出し、手刀で切り出し墓標と成した。ザリスは墓標に銘を刻む。その名は兎の魂から読み取った、兎が自身と認識していた唯一の真名である。真名は兎の過去、あるいは平行世界に由来している。そしてここ数年、そこにはさらに、かつてザリスが名付けた一名が加えられていた。今、ザリスは墓標にその名を刻む。


  浪士燕青オーシャット・カラス

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