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2008-08-07

ザリス(3)

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 兎が辛抱強く待ってくれているのをいいことに、ザリスは悠々と準備を始めた。地面に塗料をぬりつけて何重もの結界を描き、自分の属性に集中して場の力を高め、自身にあらん限りの強化を施した上に喉が渇いたので薄く溶いた砂糖水をがっこがっこ飲んだ。日はもうほとんど落ちかけ、森は薄暗くなっている。

「おぐおぐおぐ、うは。よしゃあおら正々堂々勝負したろやんけ! よけんなよ」

 実戦では絶対に待ってもらえないような長々とした詠唱の儀式を経て、一帯を炎熱が渦巻いた。森が火事になったらどうしようと思ったが遅い。たとえば「ぎょーしけんねっすとーみんぼーけーんのぉあ」などと音写できる叫び声を上げて、ザリスは用意した炎熱の渦を兎の立つその場所に集中させた。退路はない。穴を掘って逃げでもしない限り、こんがり焼けた兎肉が現れるどころか消し炭くらいしか残らない。

 実際は、兎が発動する様々なレジストによってその威力は阻まれるだろう。しかし、限界があるはずだ。この術式に対する正しい防御法は、大量の炎熱に押しつぶされる前に炎壁の薄いところを突き破って脱出することである。回避せずに受け切ろうとする兎は、その選択自体が間違っているのだ……などと余計な講釈を思い描きつつ、ザリスは兎を炎の玉で押し潰す。やり過ぎているのではないか、そう不安にならないでもないが、あの人外兎がこれでくたばる気はしなかった。はたして、熱量を維持できなくなった炎の玉が空の霊気となって発散し尽くしたとき、依然立ったままの兎の姿がその中から現れた。

「うーわないわ。むっさないわ」

 兎が炎に耐えている間、魔力の動きはなかった。一体どうやってあれを凌いだのか、魔術師のザリスには想像もつかない。せめて倒れてくれていればよかったのに、兎はまだやる気のようだった。

 今度は自分の番だとばかりに、再び兎が飛びかかる。ザリスは周辺に散った残り火をかき集め、固形炎壁を形成してこれに対した。打撃の瞬間、やはり意識を衝くものがある。受けとめた想念体は、しかし先ほどまでの不可解な集合よりも若干その構造が把握できるものになっていた。いや、そこに見覚えがあったために、ザリスにとっての認識が容易になったと言うべきか。先ほどザリスの行使した炎熱圧殺の痕跡が、そこには克明に見て取れた。

「気合い……」

 信じがたいことだったが、痕跡からはそうとしか読み取れない。兎がザリスの炎の玉に耐えきれたのは、その気合いのゆえだった。迸る気合いにより、炎の含有する熱量は兎の肉体に届く前に霊気となって掻き消されたのだ。世の理をねじ曲げる、恐るべき胆力である。

「じょ、冗談ちゃうわ!」

 この期に及んでどんな攻撃がこの兎に通用するのか分からなかったが、とにかくザリスは攻めを選んだ。炎を吹く炎の矢が兎を取り巻き、巧妙に機をずらしながら兎の肉を射貫かんとする。兎はこれを、あろうことか一本一本掴み落としていく。物理的な媒体を伴わない、形而上の矢をである。

「こんくそ……!」

 追撃に入ろうとしたとき、掴まれた一本がザリスの肩を狙って投げ返された。即座の対応ができず、また自動障壁に任せることとなる。一点に圧力を集中した鋭い火矢は自動障壁を貫き、軌道を逸らしながらもザリスの肩にわずかに触れてそのまま真っ直ぐ飛んでいった。ザリス自身は、軽い火傷を負っただけである。この時に流入してきた想念体には、先ほどの炎熱圧殺に加え、一連の火矢を巡る攻防の痕跡がやはり残されていた。

「あついちゅうね!」

 そこからは乱戦だった。ザリスは矢継ぎ早に、また平行して複数の術式を仕掛ける。兎も、もう今までのようにザリスの行動を逐一待ったりはしない。森の中を俊敏に駆け巡る兎の動きを、ザリスはほとんど認識できない。ならば、そういう戦い方をするまでだ。ザリスは兎を目で追うことを早々に諦め、その座標を霊的なマーキングによって知覚し追跡しはじめた。同時に車椅子の力学的制御を行い、不測の事態で姿勢が崩れぬよう監視する。

 打撃と炎撃の応酬が、五度、六度と繰り替えされる。そうしているうちに、ザリスは徐々に理解していく。これは、手続きなのだ。攻撃の応酬の度に、ザリスの意識には兎の拳に乗った想念が流入する。これはしかし、ザリスの操る炎にも同じことが言えるのではないか。

 ザリスと兎は、攻撃という手段で互いに想念体を交換している。その過程で想念体は少しずつ解読されていくし、伴って相手に渡される想念体の構造もまた変化していく。いまやザリスは、兎から渡される想念から痕跡以上の情報を読み取るに至っていた。兎の意図を、ザリスは理解し始める。

 超速で射出したザリスの炎撃が、今初めて兎の肉体を直撃した。防御の間に合わなかった兎は、横腹を殴られたように身をよじって土に倒れる。ザリスにとっては、ようやく決まった有効打だった。

「あんた、こういうことやりたいんか」

 兎は倒れた姿勢から跳躍し、すぐに体制を整える。これまでの経験からザリスの言葉は通じているはずなのだが、反応は一切ない。言葉はいらないとでも言わんばかりだ。

「あーそ」

 なんだか自分だけ喋り通しているのも馬鹿らしくなり、ザリスは黙る。次に小回りに回転する軌道で背後から現れ横腹を狙う蹴りを受け止めたとき、ザリスは一段とはっきりと兎の想念の構造を掴んだ気がした。ようやくザリスの方から与えた有効打が、この手続きを促進したのだと分かる。兎の求めるのがこの手続きのやりとり自体であることを、ザリスは同時に確認した。

 ふと、手が動く。そこに手を伸ばせばいいと、なんとなく理解していた。拳を作り、その拳を面前に押し出す。そこに、兎の顔面が飛び込んできた。違う。真横から飛び込もうとしていた兎の軌道を読んで、ザリスがカウンターを仕掛けたのだ。腰も何も入っていない拳は、それでも兎の勢いに反作用を与えて十分な打撃となる。兎は身体を小さく丸め、再び地面を転がった。

 ザリスは自身の変化に驚いた。今の一撃は、決して何かに操られたという種のものではなかった。半ば無意識の行動ではあったが、確かにザリス自身の計算が働いていた。これは兎の戦い方だ。兎の戦い方を、いつの間にかザリス自身がものにしている。なぜこのような計算を働かせることができるようになったのか。疑うべくもない。この場所で発生した、兎との一連の手続きによってである。

「ふほ」

 ザリスは、自身の身体感覚のありように気づく。身体のどこをどう動かせば、次にどのような事象が導かれるか。それが一枚の絵を見るようにはっきりと感覚できる。ザリスは、車椅子から腰を浮かせる。腱に力の入らない足は容易に地面に沈み込もうとするが、その軌道すらザリスには見えている。必要と感覚したほんの数点に、微々たる魔力で圧力を発生させる。それだけで、ザリスは見事自立していた。

「ふひゃひゃ」

 次の瞬間、ザリスは跳ねた。衰えた身体は、まともな運動にも耐えられない。それでも、最小限の魔力をどこにあてがえば自身の身体が思い通りの動きをするか、ザリスはすでに理解している。よろめく力すらも利用して、ザリスは右足を振り下ろす。樫の靴は完全に兎の頭をとらえている。だが、兎はこれを横飛びでかわした。回避行動に移った兎の軌道を、しかしザリスは読んでいる。蹴りのために用いた右足は既に軸足となり、同時に地を離れた左足が兎の背を追撃する。この蹴りが兎を直撃する未来を、ザリスははっきりと感覚している。数瞬の後に、この未来は現在化する。

 しかし、その時はやって来ない。兎はザリスの感覚した未来を気合いによって強引にねじ曲げ、軌道を身体一つ分隣へずらしている。ザリスの蹴りは空振りする。ザリスが自身の過ちに気づく前に、兎の拳がザリスの顎を撃ち抜いた。

「おうっげ」

 顔面を揺さぶされながらザリスは予想外の事態に動揺するが、一瞬後に得心する。この感覚が兎より伝えられたものならば、兎の方がより鋭敏な感覚を有しているのは当然である。

「てぇぬいとりよったなこの……」

 ザリスはまだ、兎の技を識りきっていない。この先があるのか、とザリスは愉快になる。そしてザリスには、兎にない自分の技がある。顎への一撃で身を反らせながら、既にザリスは意識の中で術式を組み上げている。仰け反る力をそのままに、ザリスはモーメントの軸を上半身に移動させる。結果、身体を背後に反らせようとしていた力は足を蹴り上げる力となる。蹴り足に、術式を乗せる。白熱に纏われた足が、兎の腹をとらえた。爆発する。爆風によって両者は大きく引き離される。

 腕一本を支えとして、ザリスは地に立つ。術式と蹴りを交えた一撃だったが、兎はその衝撃のほとんどを気合いで掻き消したはずだ。しかし、遂に本気を出させたという手応えがあった。兎は再び行方をくらまし、ザリスに知覚しきれない俊敏さで攪乱のために飛び駆っている。牽制の火球を有意義な座標に発現させながら、ザリスはさらに術式を組み始める。次は兎の顔面に一撃を叩き込むため、ザリスは拳に炎を握る。

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